現代卓球の歪さ
部長の顔が、全開の闘志で引きつるのを、私は満足げに眺めていた。
私の東京での一週間。その本当の戦いが、今、確かに幕を開けたのだ。
監督の号令と共に、体育館の熱気が一気に上がる。
一番台以外の全ての台で、一斉に1セットマッチの試合が始まった。
怒号と歓声、そして激しい打球音。
しかし、私が立つ一番台だけは、静まり返っていた。
最初の挑戦者が現れるまで、私はここで待つしかない。
その静寂を破ったのは、ネットの向こう側に立った監督だった。
「…少し、体を温めておこうか。しおり君」
彼はそう言って、私と軽いフォア打ちを始めた。
パァン、パァン、と心地よい音が響く。
その中で、私はずっと疑問に思っていたことを彼に問いかけた。
「…監督。なぜ私を最上位の台に固定したのですか?」
「私の実績はもう二年近く前の、たった一度の優勝だけです。その後はご存知の通り。今の私は、ただのリハビリ中の事故選手ですよ」
私のその自嘲的な言葉。
監督は顔色一つ変えずにボールを打ち返しながら、静かに答えた。
その声は、まるで大学の講義のようだった。
「…君がこの一週間、たとえ一度も勝てなくても構わない。私が君をここに置いたのには、別の理由がある」
彼は、そこで一度言葉を切った。
「…しおり君。君は、現代卓球が抱える『歪さ』に気づいているかな?」
「歪さ、ですか?」
「ああ。近年の卓球は研究が進みすぎた。その結果、試合の勝敗の七割が、サーブとレシーブ、そして三球目攻撃という最初の数球で決まってしまう、極めてアンバランスな競技になってしまった」
彼のその言葉は、私が漠然と感じていた違和感の正体そのものだった。
「うちの選手たち。猛も小笠原もそうだ。彼らは、その『サーバーが絶対的に有利』という現代卓球の常識の中で頂点を極めたエリートだ。彼らの練習時間の七割は、サーブと回転の研究に費やされている」
「しかし」と彼は続けた。その目が、鋭く私を射抜く。
「もし、その絶対的な前提が崩されたとしたら?もし、自らのサーブが全く効かず、そして相手のレシーブが全く予測できない、そんな未知の相手が現れたとしたら、彼らはどうなる?」
そうだ。
それこそが、私の戦い方。
「私は、この部のエースたちに、君という『異端』を身をもって体感させたいのだ」
「君のような、回転そのものを否定し、サーバーの有利ささえも無に返すレシーバーと戦うという経験を。その一度の絶望的な経験は、彼らにとって百回の練習よりも価値がある」
彼の言葉。
それは私への過剰な期待や神格化ではなかった。
あまりにも合理的で、そして冷徹な、指導者としての計算。
私を最高の「砥石」として、部長や小笠原という鋼の刃を、さらに鋭く磨き上げる。
それこそが、彼の本当の狙いだったのだ。
(…なるほど。面白い)
私は、心の底からこの「監督」を認めた。
そして、その彼の期待に最高の形で応えてあげようと、心に決めた。
その時、隣の台から試合終了を告げる挨拶が聞こえた。
二番台の試合が終わったのだ。
私の最初の「獲物」が、今、玉座へと向かってくる。




