美しく残酷な赤い星
その絶対的な孤独感と、そしてかすかな知的な興奮だけが、私の心を支配していた。
私がその広大な問いの海に溺れかけていた、その時。
先生の声が、再び私を岸辺へと引き戻した。
彼の声のトーンが、少しだけ変わっていた。
まるで、これから最も大切な場面を語る、説教師のように。
「――さて。汽車はやがて、燃えるような赤い星々のただ中を走っていく。そして、ここで一人の少女が、あの有名な『さそりの火』の物語を始めるんだ」
さそりの火。
その言葉に、私は冊子の新しいページを開いた。
先生は、その物語をどこまでも美しく、そして感情を込めて語り上げていく。
「――昔、一匹の蠍がいたちに見つかり、食べられそうになった。蠍は必死に逃げたが、ついに井戸に落ちてしまう。死の間際、蠍は神にこう祈ったんだ」
先生の声に、力がこもる。
「『ああ、私はなんという無駄なことをしてきたのだろう。…今度、もし私が体を捨てても、皆のの幸いのために私の体をお使いください』と」
「すると、蠍の体は真っ赤な美しい炎となって燃え上がり、夜の闇を照らすさそり座になったのだ、と…」
その、あまりにも気高い自己犠牲の物語。
教室のあちこちから、小さく感動のため息が漏れるのが聞こえる。
先生は、満足そうに頷いた。
「…自分の命を捧げてでも、他者の幸福を願う。これほど尊い精神はありませんね。これこそが、賢治が私たちに伝えたかったメッセージの一つなのです」
しかし。
その美しい物語と、その感動的な解釈が、私の心には全く響かなかった。
私の心の中に広がっていたのは、感動ではなく、強烈な「違和感」と「反発」だった。
(…違う)
氷の私が、静かに呟く。
(それは、美しくない)
(自らが救われるために神に祈り、そして死んでいく。それは、ただの独りよがりだ)
(その美しい死によって、残されたいたちはどうなる?捕食者としての罪悪感を背負わされるだけではないか)
(その死は誰かを救ったかもしれない。しかし同時に、誰かを深く傷つけている)
(それは、ただ残された者の心を永遠に縛り付ける、残酷な『呪い』だ)
そうだ。
私は、この物語が持つ本質に気づき始めていた。
この物語は、一貫して「死」を美化しすぎている。
自己犠牲という名の、甘美な「毒」で、死の恐ろしさを覆い隠している。
その恐ろしい事実に気づいた私の背筋を、冷たい汗が伝った。
この旅の先に待つもの。
それは、おそらく美しい救済ではない。
このさそりと同じ、あまりにも美しく、そして残酷な「自己犠牲」という名の、不吉な結末。
その予感が、私の心を黒い霧のように覆い始めていた。




