表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
五月雨高校編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

645/694

研究ノート

 私たちは、何も話さなかった。


 ただ静かに食事を進める。


 しかし、その沈黙は気まずいものではなかった。


 互いの魂の孤独を理解し合った、二人の戦友の、静かな晩餐だった。


 食事が終わると、凛月さんは当たり前のように二人分の食器を手に取り、キッチンへと向かった。


「…私がやります」と私が言うよりも早く。


「いいから座ってなさい。病人でしょう、あなたは」


 そのぶっきらぼうな言葉の裏に、不器用な優しさが隠れていることを、今の私にはもう分かっていた。


 一人ダイニングテーブルに残された私は、改めてこの部屋を見渡す。


 そして、壁際の小さな棚の上に無造作に置かれた、一冊のノートが目に留まった。


 黒いハードカバーの、何の変哲もないノート。


 しかし、その背表紙にテプラで貼られた白いラベルには、私のよく知る名前が書かれていた。


『静寂しおり - 分析レポート』


(…これは…)


 見てはいけない。


 そう、頭では分かっているのに。


 私の手は、無意識にそのノートへと伸びていた。


 ページを開いた瞬間、私は息をのんだ。


 そこに書かれていたのは、もはや「分析」などという生易しいものではなかった。


 それは、**私という人間そのものの、完璧な「解剖図」**だった。


 中学一年時の全国大会での、私の全ての試合の詳細なスコア。


 サーブのコース別使用確率。


 ラリーの展開ごとの打球選択の癖。


 そして、私がラケットを反転させるタイミングのパターン分析まで。


 びっしりと几帳面な文字で埋め尽くされたページ。


 それは、彼女が、あの全国大会で私に敗北したあの日からずっと、来る日も来る日も、ただひたすらに私を「研究」し続けてきた、その執念の結晶だった。


 この孤独な城の中で、たった一人。


 私という名の亡霊と、戦い続けてきたのだ。


 その、あまりにも凄まじい熱量に、私は畏怖さえ感じた。


 しかし、その畏怖はすぐに、全く別の感情へと変わっていった。


 私の胸を締め付ける、冷たい「罪悪感」だった。


 私は、自分の手と足を見下ろす。


 リハビリを経て、ようやく動くようにはなった。


 しかし、その力も持久力も、全盛期には遠く及ばない。


(…このノートに書かれている『怪物』は、もうここにはいない)


(今の私では、この人の二年間近くの努力と執念に、応えることができない)


 彼女は、私を倒すために全てを捧げてきた。


 しかし、その私が、もはや彼女が想定していた私ではない。


 その事実は、彼女のこの二年間の全てを裏切る行為ではないのか。


 その時だった。


「…何、見ているのよ」


 洗い物を終えた凛月さんが、私の背後に立っていた。


 その声は静かだったが、どこか緊張しているようだった。


 私はゆっくりと、彼女の方を振り返る。


 そのノートを、手にしたまま。


 私の瞳に宿る、そのあまりにも複雑な感情の意味を、彼女はまだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ