小笠原 凛月
東京の空は、私が思っていたよりもずっと騒がしくて、そして少しだけ、面白い色をしているようだった。
凛月さんの後について地下鉄を乗り継ぎ、地上へ出ると、そこはもう高層ビルがひしめき合うコンクリートの森だった。
「…すごい…」
田舎者のようにキョロキョロと周りを見渡す私。
その私の姿を見て、凛月さんは呆れたようにため息をついた。
「…はぐれないでよ。全く、見ていて危なっかしいんだから」
その言葉は冷たいようで、でも、その横顔は迷子の子猫を見るような、優しい色をしていた。
やがて私たちは、一際大きなマンションの前にたどり着いた。
オートロックのエントランスを抜け、エレベーターで上層階へと昇る。
案内された部屋のドアが開かれた瞬間、私の目に飛び込んできたのは、一人暮らしの高校生の部屋とは思えないほど広く、そして完璧に整頓された2LDKの空間だった。
「…適当に座ってて。すぐ夕食の準備をするから」
彼女はそう言って私をダイニングテーブルに座らせると、手際よくキッチンに立った。
私はその背中を見ながら、この彼女の「城」を観察し始めた。
部屋は、驚くほど物が少ない。
モデルルームのように綺麗で、しかしどこか無機質で、生活感がなかった。
テレビの横の棚には、彼女の母親の趣味だという、美しい花が生けられた花瓶が一つ。
しかし、その反対側の壁一面を埋め尽くしているのは、びっしりと戦術が書き込まれた、巨大なホワイトボードだった。
父と、母。二つの世界の狭間で、彼女が戦っているのが見て取れるようだった。
そして、机の上にぽつんと置かれた、一枚の写真立て。
そこに写っているのは、少しだけ窮屈そうに、しかし幸せそうに笑う、彼女とその両親の姿。
「普通」の家族。
その、普通であることの「期待」が、どれほど彼女の肩に重くのしかかっているのか。
今の私には、少しだけ分かる気がした。
「…できたわよ」
私の前に置かれたのは、質素だが栄養のバランスが完璧に計算された、温かい食事だった。
彼女は私の向かいに座り、そして静かに「いただきます」と手を合わせる。
その手慣れた所作。
(…そうか)
私は、なんとなく理解した。
(ここが、あなたの戦場なのですね、凛月さん)
家族の期待という名の十字架を背負い、
たった一人、この孤独な城の中で、
彼女もまた、私と同じように戦い続けているのだ、と。
私たちは、何も話さなかった。
ただ、静かに食事を進める。
しかし、その沈黙は気まずいものではなかった。




