山吹の高坂
「えーっと、しおりちゃんの名前は…あった!静寂しおり、と。それで、三回戦の相手は…あ、ここだね!えっと、山吹中学の…『高坂まどか』選手って書いてあるよ。」
あかねさんが、指でトーナメント表を辿りながら、私の次の対戦相手の名前を読み上げる。
その声は弾んでいて、私の試合への期待感が伝わってくる。
私は、新たな分析対象の出現に対し、思考を巡らせる。
私の思考は、次の対戦相手の高坂選手への対策と並行して、その先の可能性へと、静かに、しかし確実に伸びていった。
この仲間たちと共に戦う中で、私の卓球は、そして私自身は、どこへ向かうのだろうか。
「――よう、二人とも。まだそんなとこで睨めっこか?」
不意に、先ほどとは少しだけトーンの落ち着いた、しかし相変わらず力強い声が背後からした。
振り返ると、そこには汗を拭い、少しだけ表情も和らいだ部長が立っていた。
彼の瞳は、先ほどの激情の色は薄れ、試合後のクールダウンを経たアスリート特有の、心地よい疲労感と次への闘志が混じった、安定したものへ戻りつつある。
「あ、部長先輩!お疲れ様です!」
あかねさんが、ぱっと笑顔で振り返る。
「しおりちゃんの次の相手、見てたんですよ。山吹中の高坂まどか選手だって!」
「山吹の高坂、…やっぱり上がってくるか…」
部長は、私たちの隣に並び、トーナメント表のしおりの名前とその次の対戦相手を指でなぞった。
その目に、ふと真剣な光が宿る。
「あいつ、一年の時も県大会に出てたな。安定したドライブマンで、特にバックハンドのコースがえげつなかった記憶があるぜ。お前が二回戦でやったカットマンとは全くタイプが違う。それに俺がみた時から二年も経っている、油断はできねえ相手だぞ、しおり」
彼の言葉には、経験者としての的確な分析と、私への真摯な忠告が込められていた。
後藤選手との試合を経て、そして彼自身の過去と向き合ったことで、彼の「熱」は、より深く、そして思慮深いものへと変化しているのかもしれない。
「…はい、部長。データ不足ではありますが、高坂選手が相応の実力者であることは認識しています。特に、私が前の試合で見せたプレースタイルは、既に対策されている可能性も考慮に入れるべきでしょう」
私は、部長の視線を受け止め、冷静に答える。
「はっ、お前らしいな。心配はいらねえかもしれねえが、それでもだ。高坂は、精神的に脆くはねえだろうし、後藤みてえに何かを背負ってるような複雑さも、表面的には見えねえ。純粋に、卓球の技術で向かってくるタイプだ。お前の『異端』が、そういう正統派の強者にどこまで食い込めるか…正直、俺も楽しみにしてるぜ」
部長は、そう言ってニヤリと笑った。
その笑顔には、私への信頼と、そして純粋な卓球ファンとしての一面が覗いている。
…部長の分析、私の初期仮説と概ね一致。
高坂選手は、精神的な揺さぶりよりも、技術的な完成度で勝負してくる可能性が高い。
私の「変化」に対する対応力と、それを上回るための新たな「予測不能な一手」が鍵となるか。
私の思考は、部長の言葉を新たな変数として組み込み、高坂選手への対策をさらに精密化していく。
「大丈夫だよ、しおりちゃん!部長先輩はああ言ってるけど、しおりちゃんの綺麗な卓球なら、きっとどんな相手にも勝てるって、私、信じてるから!」
あかねさんが、私の手をぎゅっと握り、力強い笑顔で励ましてくれる。
その純粋な信頼は、私の「静寂な世界」に、また一つ、温かい光を灯す。
「…ありがとうございます、あかねさん。部長も、貴重な情報感謝します」
私は、二人に向けて、ほんのわずかに頭を下げた。それは、以前の私なら、決して表に出すことのなかったであろう、明確な感謝の意思表示だった。
部長は、そんな私の様子に少しだけ目を丸くした後、照れくさそうに「お、おう…」と頭を掻いた。
彼の纏う気配が、一瞬、温かい色に揺らめいた、そんな気がした。
この仲間たちと共に戦う県大会。
私の「異端」は、ただ勝利を目指すだけでなく、私自身の内なる世界にも、静かな、しかし確実な変化をもたらし始めているのかもしれない。




