地獄の果て
診察が終わり、私たちは無言のまま、病院の玄関でタクシーを待っていた。
冬の夕暮れは早く、空はもう深い藍色に染まっている。
その重い沈黙を、最初に破ったのはれいかさんだった。
その声は、震えていた。
「…一年生の時。…私、あなたがクラスに馴染めないのが、許せなかった」
「だから、あなたを無理やり私たちの輪の中に入れようとした。私のやり方で、あなたを『普通』にしようとした。あれが、あの時の未熟な私の『正義』だったの」
私は、黙って聞いていた。
「でも、違ったんだね…」と、彼女は続けた。その声は、涙で濡れていた。
「あなたは、感情を失って、あのすごい『目』だけを頼りに、ただ生きるのに必死だっただけなんだ。…私、それに気づけなかった。あなたのその強さの裏にある、本当の痛みに、気づこうともしなかった」
「だから、あなたを認められなくて、排除しようとしてしまった…。本当に、…本当に、ごめんなさい…」
その、魂からの謝罪。
私は、ゆっくりと彼女の方へと向き直った。
「…もう、済んだことです」
そして、私は告白した。
私自身もまた、ずっと心の奥底に隠していた、もう一つの真実を。
「…それに、本当は」
「あの時、あなたの手に首を絞められていた時…私、少しだけ、ほっとしていたんです」
「え…?」
「ああ、これで、もうこんな地獄で生きなくて済むんだ、って」
れいかさんが、息をのむ。
「私のあの一年間は、本当に夢のようでした」
「小学生の時に、私という存在は一度死にました。それからの私の人生に与えられたのは、泡沫の夢。…友達ができて、葵という親友とも再会できて、毎日がお祭りみたいだった」
「だから、あの時、もういいかなって思ったんです。こんなに幸せな夢の中でなら、死んでもいいかなって」
「生きるのも、死ぬのも、どっちでもよかった」
その、あまりにも静かで、そして絶望的な私の告白。
れいかさんは言葉を失い、ただ私の声を聞いていた。
彼女は今、ようやく本当の意味で理解したのだろう。
自分が殺そうとした少女が、どれほどの闇を生きてきたのかを。
そして、自分が奪おうとしたものが、彼女にとっては必ずしも絶対的な「光」ではなかったという、残酷な真実を。
タクシーのヘッドライトが、暗闇を照らしながらこちらへと近づいてくる。
れいかさんは、その光の中でじっと私の顔を見つめていた。
そして、彼女の心の中に、一つの新しい感情が芽生えるのを、私は確かに感じていた。
(…資格なんて、ないかもしれない)
(でも)
(この、あまりにも不器用で、そして脆い、ガラスのようなこの子を)
(今度は、私が守りたい)
その、声にならない誓い。
それは、加害者と被害者という関係を超えて生まれた、一つの新しい「絆」の産声だったのかもしれない。
私たちは、無言のままタクシーに乗り込んだ。
私たちの、長くて、そして複雑な夜は、まだ始まったばかりだった。




