心と傷の手当て
あかねさんが持ってきた救急箱を受け取ると、れいかさんの雰囲気が変わった。
それまでの怯えた少女の顔ではない。
その瞳には、驚くほどの冷静さと集中力が宿っていた。
彼女の、その小さな手は震えていなかった。
消毒液をガーゼに含ませ、床で擦れた私の腕の傷を、優しく、しかし手際よく拭っていく。
そして、氷嚢を最も酷い打撲箇所である腰にそっと当てる。
その的確で、そして一切の迷いのない動き。
それは、長年誰かの傷を見続けてきた人間のそれだった。
その優しい手の感触。
氷嚢の冷たい心地よさ。
その感覚が、私の心に深く染み渡っていく。
張り詰めていた戦いのスイッチが、ふっと切れるのが分かった。
全身の痛みが一気に蘇ってくる。
しかし、それと同時に、仲間たちの声や体育館の匂いといった、温かい「感情」もまた、私の心に戻ってきた。
「…大丈夫」
私はか細い声で呟いた。
心配そうに私を見つめる、れいかさんの瞳に向かって。
「もう、大丈夫だから…」
その時だった。
彼女が私の首筋にそっと触れようとして、その指がぴたりと止まった。
彼女の視線の先にあるものを、私は理解した。
私の首に今も薄っすらと残る、一本の古い傷跡。
あの日、彼女がカッターナイフで切り裂いた、罪の刻印。
彼女の顔から血の気が引き、その手がこわばる。
私は、そんな彼女の瞳をまっすぐに見つめ返し、そして静かに告げた。
それは、私の魂からの言葉だった。
「…あなたには、傷をつけられたけど」
私はそこで一度言葉を切り、そしてほんの少しだけ、微笑んでみせた。
「…手当て、上手なんだね」
その言葉。
れいかさんの瞳から、堪えていた涙が再び溢れ出した。
しかし、それはもうただの罪悪感の涙ではなかった。
その、あまりにも歪で、そしてどこか優しい私たちのやり取り。
それを少し離れた場所から、あかねさんが腕を組んで、見張るように見ていた。
彼女の表情はまだ険しい。
しかし、その瞳の奥の憎しみの炎は、ほんの少しだけその勢いを弱めていた。
彼女は、ふいと私たちから顔をそむける。
(…手当てなら、いいか)
その呟きが、聞こえたような気がした。
彼女はもう私たちには構わず、そして体育館の反対側で桜さんと対峙する橘コーチの方へと、まっすぐに歩み寄っていく。
彼女の戦うべき相手は、もうれいかさんではない。
その背中が、そう語っていた。




