乱入者
私は荒い息を吐きながらラケットを握り直した。
(…もっと早い段階で、勝負手を打たなければ…!)
サーブ権は、まだ橘コーチにある。あと一本。
(…速さで勝負しても勝てない。パワーでも勝てない) (ならば)
私は、構えを変えた。 台にぴたりと張り付く、前陣速攻の構え。
(私の、もう一つの武器。ストップでスピードを殺し、そしてカウンターを狙う)
彼が放ったのは、やはり私の体を抉るような高速ロングサーブ。 私は、そのボールの威力を利用し、そして殺す。
ラケットの角度を完璧に合わせ、ボールはネットのすぐそばにぽとりと落ちた。 完璧なストップ。
しかし、それは同時に、私のコートの広大なオープンスペースを彼に差し出す、諸刃の剣だった。
彼は「待っていました」とばかりに、そこに全身全霊のスマッシュを叩き込んでくる!
私が動くのと、彼がラケットを振り抜くのは、ほぼ同時だった。 私が意図的に作り出したそのオープンスペースへと、体を投げ出すように飛び込んだ!
そして、床に墜落しながら最後の力を振り絞り、ラケットを振り抜く。
放たれたボールは、彼の全くいない逆サイドへと、閃光となって突き刺さった。
静寂 6 - 2 橘
私は、床に倒れ込んだまま、動けない。
ラケットを握っていたはずの右腕は、だらりと力なく床に伸び、全身の関節が悲鳴を上げている。焼けるように熱い肺、床に擦れた背中の鈍い痛み、そして、思考そのものを停止させるほどの、鉛のような疲労感。
(…思考と、感覚は、完璧だった)
心の中は、不思議と冷静だった。
相手のスマッシュが来る。その予測。
カウンターを叩き込むための、最短距離への移動。
そして、ボールを捉える、インパクトの瞬間の、ラケットの角度。
私の頭脳と、そこに宿る卓球の感覚は、あの頃と何ら変わらない、完璧な「解」を弾き出していた。
(体を投げ出してでも、一点をもぎ取る。これが、私の戦い方)
そうだ。どれだけ無様に倒れようと、そこから起き上がり、より強烈な一撃で相手を追い詰め、そして最後に立っていればいい。それが、私の信条。私の卓球の、原点。
(…しかし)
問題は、その後にあった。
本来なら、今の体勢から即座に起き上がり、次の一球に備えなければならない。
現に相手が打ち返してきていたら、飛び付かなければならなかった場面だ。
だが、私の脳が送る「起き上がれ」という指令に、肝心の肉体は、ぴくりとも反応しない。
思考という名のソフトウェアは、すでに全盛期の速度で稼働しているのに、それを動かすための肉体というハードウェアが、まだ全く追いついていないのだ。
この、あまりにもどかしい、断絶。
その時だった。
「――一体、何をさせているのですか!!」
体育館の入り口から響き渡る、氷のように冷たい、しかしどこまでも気高い声。
そこに立っていたのは、常勝学園のジャージを着た青木桜と、その後ろに怯えたように佇む、妹のれいかだった。
桜さんは、一直線に橘コーチの元へと詰め寄る。
「初めましてですね、橘コーチ。…しおりさんのコンディションを分かった上で、こんな無茶をさせているのですか!?」
そのあまりの剣幕に、橘コーチもたじろいでいる。
しかし、その姉の隣で、れいかさんは動いていた。
彼女は床に倒れる私の元へと駆け寄り、そしてその小さな体で、必死に私の体を支えようとしていた。
「…大丈夫…!?しっかりして…!」
「…れいか、さん…」
「動かないで!…あかねさん!」
彼女が叫ぶ。
あかねさんが「あなた、どのツラ下げて…!」と憎悪に満ちた声で言い返そうとした、その言葉を。
れいかさんの悲痛な叫びが遮った。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!私への憎しみなら、後でいくらでも受け止める!だから今は早く、タオルとドリンク!それから氷嚢も!」
その、手際の良い指示。
あかねさんは一瞬戸惑ったが、すぐに我に返り、
「一年生、壁になって!しおりちゃんを囲んで背を向けて!」
「「「おす!」」」
準備が済んでから、慌てて救急箱を取りに走る。
れいかさんは私のジャージの袖をまくり上げ、そして驚愕に目を見開いた。
私に浮かび上がっている、無数の打撲の跡。
「…卓球をするだけで、なんでこんな…」
その呟きに、桜さんが答える。
「…彼女の肉体は、まだ自分の思考の速度に追いついていないのよ。だから、無理な体勢でボールを打ち、そして自分の体を床や卓球台に打ち付けている…。そうでもしなければ、今の彼女は戦えないから」
その、あまりにも壮絶な真実。
れいかさんは言葉を失い、ただ私の体を見つめていた。
その瞳には、罪悪感と、そしてそれ以上の畏怖のような色が浮かんでいた。
私の本当の「戦い」の意味を、彼女が、本当の意味で理解した、その瞬間だったのかもしれない。
遅い中、最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。 作者のR・Dです。
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また、明日、この場所で、お会いできることを、楽しみにしています。




