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異端の白球使い  作者: R.D
三年生編

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優勢か劣勢か

 ネットの向こう側で、橘コーチが初めて狼狽の色を浮かべたのを、私の目は確かに捉えていた。


 この戦いの主導権は、完全に私が握ったのだ、と。


 サーブ権はまだ私にある。二本目だ。


 私はボールを手に取り、そしてあえてゆっくりと、ラケットの黒い面――アンチラバーを彼に見せびらかすように構えた。


 そして、ボールを高く、高くトスする。


 体育館の全ての視線が、その一点に集まる。


 落下してくるボール。


 そのタイミングに合わせ、私の手首が蝶のように舞った。


 ラケットを、一回転させる。


 私が編み出した、新しい幻惑の技術。


 その華麗で、しかしあまりにも異質な動き。


 橘コーチの思考が、迷宮へと迷い込むのが分かった。


 彼の頭の中は今、いくつもの可能性で飽和しているはずだ。


(…来た。ラケットの回転)


(アンチを見せて、そこからの回転…これはブラフか?)


(いや待て。彼女は私の思考を読んでいる。ならば、このラケット反転は、その裏をかいた本命か?)


(違う。その思考さえも読まれているとしたら…!?)


 彼の、そのコンマ数秒の思考のフリーズ。


 私にとっては、十分すぎる時間だった。


 私が放ったのは、アンチラバーで打った、ただのナックルショートサーブ。


 しかし彼の頭脳は、そのあまりにも単純なボールを、強烈な「下回転」であると誤認してしまった。


 彼はそのボールを持ち上げるために、思いっきりドライブを放つ!


 だが、回転のないボールが持ち上がるはずもない。


 彼のラケットの下をすり抜けるように、ボールは無情にもネットへと突き刺さった。


 静寂 5 - 1 橘


 体育館が、どよめきからため息へと変わる。


 後輩たちは、もはや何が起きているのか理解できていないだろう。


 ただ、絶対的な王者が、なすすべもなく翻弄されているという事実だけを、目の当たりにして。


 私は静かに、彼を見つめた。


 彼の額に、大粒の汗が浮かんでいる。


 その驚愕に満ちた顔と、私の氷のように冷たい視線が交差した。


(…あなたのその完璧な頭脳さえも、私のこの、勝利への渇望の前では、無力だったということ)


 サーブ権が、橘コーチに移る。


 私は一度コートを離れ、あかねさんが差し出してくれたドリンクボトルを受け取った。


 乾ききった喉を潤し、タオルで額の汗を拭う。


 しかし、そのタオルの下で、また別の冷たい汗がじわりと滲み出てくるのが分かった。


(…来る)


 そうだ。相手が何の邪魔も受けずに、自らの100%の力を発揮できる唯一の瞬間。


 それがサーブ権なのだ。


 だからこそ、相手のサーブで得点することが重要になる。


 私は無言でタオルとボトルをあかねに返し、そして深く息を吸い込みながら構え直した。


 橘コーチの瞳には、もう驚愕の色はない。


 そこにあるのは、獲物の弱点を完全に見つけ出した、ハンターのような冷徹な光だけ。


 彼が放ったサーブ。


 それはYGサーブのような奇策ではなかった。


 ただ、ひたすらに速く、そして重い回転のかかった弾丸。


 私の体を容赦なく抉るような、一撃。


 私は、それをドライブで返す。


 ラリーが始まった瞬間、私は理解した。


 盤面が、完全に変わってしまった、と。


 速い。


 速い、速い、速い!


 彼の打球は、一球ごとにその速度と重みを増していく。


 私の思考が追いつかない。


 分析する暇がない。


 ただ、目の前に飛んでくる白い閃光に、反射的に反応するのが精一杯だ。


(…まずい。これは、完全に相手のペースだ)


 ここで勝負に出なければ、この怒涛のラッシュに押し潰される。


 しかし、その勝負手を打つための僅かな「時間」さえ、彼は私に与えてくれない。


(…これしか、ない…!)


 私は追い詰められ、そして賭けに出た。


 彼の強打が返ってくる、その瞬間。


 ラケットをひらりと半回転させ、そしてアンチラバーでドライブを放つ!


 この試合で、一度彼の思考を停止させた魔球。


 しかし。


 彼の瞳は、笑っていた。


「待っていた」と、言わんばかりに。


 彼は私のその苦し紛れの一手を、完全に読み切っていたのだ。


 彼は、その力なく沈んでくるナックルボールに対し、完璧なタイミングで踏み込み、そして思いっきりスマッシュを叩き込んできた!


 轟音。


 ボールは、私のラケットに当たり、そのあまりの威力に弾き飛ばされ、ボールは体育館の天井へと高く舞い上がった。


 静寂 5 - 2 橘


 私は、荒い息を吐きながらラケットを握り直した。


 そして、決意する。


(…やはり、見切られていたか)


(このレベルの相手には、一度見せた手品は通用しない)


(もっと早い段階で、勝負手を打たなければ…!)


 これが、世界レベルの選手……!


 まだ始まったばかりなのに、胸が熱くなるのを感じる。


 私は、この、恐るべき「コーチ」との対話を通して、何を学ぶのだろうか。

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