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異端の白球使い  作者: R.D
三年生編

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氷の独白

 私は、ボールを高くトスした。


 その瞳には、何の光も宿っていない。


 ただ勝負を賭ける、勝負師の目がそこにはあった。


 時間が、引き延ばされるような感覚。


 落下してくるボール。


 振りかぶるラケット。


 その、コンマ数秒の永遠の中で、私の思考は走馬灯のように、この一年で出会った人間たちの顔を思い浮かべていた。


 部長。


 どこまでも熱く、不器用で、そして私の罪まで背負おうとした、愚かな熱血漢。


 あかねさん。


 私のために怒り、私のために泣いてくれた、太陽のような少女。


 未来さん。


 ミステリアスで、どこか抜けているようで、しかし誰よりも強い信念を持った、静かな少女。


 そして、葵。


 私が一度はその手を振り払い、失ってしまった、かけがえのない半身。


 その一人一人の顔が、浮かび、そして消えていく。


 温かい記憶。


 私が生きていると実感させてくれた、光。


 しかし。


 今の私の心は、その温かい光に対して、嘲笑を浮かべていた。


(…ああ、そうだ。くだらない)


(なんと無意味な感傷だろう)


(あの熱血漢の魂は、この盤上では何の役にも立たない)


(あの太陽の笑顔は、この一球の回転を変えることはできない)


(あの静かなる少女の信念も、この一点の重さの前では無力だ)


(そして、あの親友の存在は…そうだ。彼女こそが、私の心にこの「感情」という名の最大のバグを生み出した、元凶だ)


 私の唇が、ほんのわずかに歪む。


 それは、自らを嘲るような、冷たい笑みだった。


(結局、私は何も変わっていない)


(絆?仲間?そんな不確かなもので、自分を慰めているだけだ)


(私がこの世界に存在する価値があるかどうか。それを証明できるのは、ただ一つ)


 私の思考が、結論を出す。


 それは、父に教え込まれた、私が生まれてからずっと従い続けてきた、唯一の、そして絶対的な法則だった。


(――勝つこと。ただ、それだけだ)


 私は、ラケットを振り抜いた。


 その一球に込められたのは、感謝でも愛情でもない。


 ただ、絶対的な勝利への渇望。


 それだけだった。


 放たれたのは、ネットすれすれを這うような、上質な下回転のショートサーブ。


 私の思考が、未来を予測する。


(…来る。あなたは、このボールをただ返すことはしない。あなたは私を、力でねじ伏せようとする)


 その予測通り。


 橘コーチは、その短いボールに対し驚異的な踏み込みで台の中に入り込み、そして強引に力で押し込もうとしてくる。


 獣のような一撃。


 しかし、それこそが私の描いたシナリオだった。


(…予定通り)


 そのボールが私のコートに突き刺さる、その瞬間。


 私の全身の関節と、まだ不完全な筋肉を、一つの巨大な「バネ」のように役割を持たせる。


 私はそのバネを極限まで圧縮し、そして、解放した!


 それは、部長との地獄のトレーニングの中で私が身につけた、「力の前借り」のようなもの。


 放たれたカウンタードライブは、彼の予測を遥かに超える速度で、逆サイドへと突き刺さる。


 しかし、その強烈な一撃と引き換えに。


 私の体は、その反動に耐えきれず、打つと同時に床へと崩れ落ちていた。


 どん、と鈍い音を立てて、尻餅をつく。


 静寂。


 そして、カツン、と乾いた音がした。


 私の放ったボールが、彼のいないオープンスペースに突き刺さった音だった。


 静寂 4 - 1 橘


 体育館中の誰もが、息をのむ。


 床に無様に座り込む、私。


 そして、私が放った、あまりにも完璧な一撃。


 その、あまりにも歪な光景に。


 私は荒い息を吐きながら床に手をつき、そしてゆっくりと立ち上がった。


 心の中で、静かに呟く。


 それは、私の新しい、そして本当の覚悟の言葉だった。


(…そうだ。これで、いい)


(どれだけ無様に倒れようと、関係ない)


(その度にまた起き上がり、そして次なる強烈な奇策を叩き込む)


(そうして、最後に立っていた者が、勝者だ)


 これが、私の戦いかた、数多の奇策からは考えられない、泥臭いファイト、だが―――――


(私は、これでいい)


 ネットの向こう側で、橘コーチが初めて狼狽の色を浮かべたのを、私の目は確かに捉えていた。


 この戦いの主導権は、完全に私が握ったのだ、と。



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