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異端の白球使い  作者: R.D
三年生編

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新たな歯車

 四月の柔らかな光が、体育館の床を照らしていた。


 あの日、未来さんが卒業してから、一ヶ月が過ぎた。


 私はラケットケースを持ち、自らの足で体育館の扉を開けた。


 杖は、もうない。


 この一ヶ月は、まさしく「地獄」だった。部長に課せられた肉体の再構築メニューは、私の想像を遥かに超えていた。


 その結果、私の体力は、ようやく「中学一年生の女子の、平均より少しだけ劣る」というレベルにまで回復していた。


 情けない数字。しかし、確かな前進だった。


 体育館の中は、以前とは全く違う熱気に満ちていた。


「はい、声出して!ラスト、もう一本!」


 その太陽のような声の主は、新しい部長兼マネージャーあかねさんだった。


 彼女のその天性の明るさが、このチームの新しい「心臓」となっている。


 部員たちの目には、もうあの灰色の絶望の色はない。


 ただ、ひたすらに前を向く、選手の光が宿っていた。


 私が中へ入ると、部員たちが一斉にこちらを向き、そして深々と頭を下げた。


「「「おす!しおり先輩!」」」


 そのあまりにも揃った声に、私は少しだけ面食らう。


 あかねが、悪戯っぽく笑いながら駆け寄ってきた。


「ふふっ。すごいでしょ?私が仕込んどいたんだから!」


 その時だった。


 体育館の入り口の扉が再び開き、一人の見知らぬ男性が入ってきた。


 歳は、三十代後半だろうか。


 鋭い眼光。しかし、その佇まいはどこまでも静かだ。


 その男が発するただならぬオーラに、体育館中の空気が一瞬で張り詰めた。


 彼は体育館を見渡し、そしてまっすぐに私の元へと歩いてきた。


 私の目の前で足を止め、静かに、そして深く頭を下げる。


「君が、静寂しおり君だね」


「…はい」


「話は聞いている。今日からこの部の指導をさせてもらうことになった、橘です」


 橘。


 元・全日本選手権ベスト4。


 引退後は実業団のトップチームのコーチを歴任した、本物のプロ。


 校長が私の「脅迫」に屈し、そして連れてきた、最高の「切り札」。


 橘コーチは私に向き直り、そして言った。


 その声は静かだったが、全てを見透かすような響きを持っていた。


「…君の噂は聞いているよ。『予測不能の魔女』」


「まずは、君の卓球を見せてもらおうか。…今の君の、全てを」


 そのコーチの挑戦的な言葉に、私は眉をひそめた。


 ……私しか眼中にない、校長になにか言われたか。


 それなら、遠慮なく毒舌を放つ。


「…は?まずは部員たちへの挨拶や自己紹介、抱負があるべきではないでしょうか、橘コーチ」


 私のその辛辣な言葉に、部員たちがヒュッと息をのむ。


 あかねさんは「しおりちゃん!」と慌てて私の名前を呼んだが、橘コーチはフッと静かに笑みを浮かべただけだった。


「…なるほど。噂通りの切れ味だ」


 彼は小さく頷いた。


「分かった。失礼した。改めて、私は橘だ。今日からこの第五中学卓球部のコーチを務める。…君たちを必ず、全国へ連れていく」


 その力強い宣言に、部員たちの目が輝いた。


 そして、橘コーチは一年と二年の部員たちの目を一人一人見つめるように、ゆっくりと語りかけた。


「いいか。君たちは今日から、幸運な目撃者となる」


「ここにいる静寂しおりは、卓球界の常識を覆す天才だ。『予測不能の魔女』と呼ばれている」


「そんな彼女が今、全力を出して卓球をする姿を、君たちは見てみたくはないか?」


「「「見たいです!!」」」


 部員たちの熱狂的な声が、体育館に響き渡る。


 その期待に満ちた瞳が、一斉に私へと向けられる。


 私は、やれやれと肩をすくめた。


「…仕方ないですね」


「でも、終わったらちゃんとコーチとして部員の練習も見てもらいますよ?」


 そしてラケットを握り、コートへと向かう。


 私の計画は、まだ始まったばかりだ。


 しかし、私の周りには、もうこれだけの最高の仲間と、最高の環境が揃っている。


 私の、新しい物語。


 世界へと続くその本当の第一歩が、今、この場所から確かに始まろうとしていた。


 新しい歯車が力強く回り始めた、その音を、私は確かに聞いていた。

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