傷痕の使い方
私のこの、呪いのような「力」の本当の意味を知る者は、この世界に私一人しかいないのだから。
「…しおりちゃん?大丈夫?顔色、悪いよ…」
隣で、あかねさんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
私は彼女に、力なく笑みを返した。
「…いえ。……、大丈夫」
大丈夫。
私はもう、一人ではないのだから。
この傷跡と共に、生きていくと決めたのだから。
私は顔を上げ、そして先ほどまで観測していたあの一年生に声をかけた。
確か、彼は結城くん。一年生ながら夏の県大会にまで駒を進めた期待の新人だと、未来さんが言っていた。
「…結城くん」
「は、はい!」
呼ばれるとは思っていなかったのだろう。彼は緊張した面持ちで、こちらへ駆け寄ってくる。
私は静かに、彼に問いかけた。
「…少し、私と打ちませんか?」
「えっ!?で、でも、しおり先輩の体は…!」
「軽くラリーをするだけです。…それとも、私では練習相手にもなりませんか?」
「そ、そんなことありません!やります!やらせてください!」
私たちは、コートを挟んで向き合った。
ラリーが始まる。
彼は緊張からか体がガチガチで、その打球は硬く、そして単調だった。
私はただ彼のボールを、優しいタッチで返球し続ける。
そして、彼の心の内側を観測する。
ラリーが数本続いた後、私は彼に問いかけた。
「…結城くん。あなたの名前を教えてもらえますか」
「え?あ、はい!結城健吾です!」
「…健吾くん」
私が初めて彼の名前を呼ぶ。
彼の肩が、ほんの少しだけ震えた。
私は、続けた。
「健吾くん。あなたは、ミスをすると自分を責める癖がある」
「…!」
「今のラリーでもそう。あなたは私に返球することよりも、『私相手にミスをしてはいけない』というプレッシャーと戦っている」
「その怒りと焦りが、あなたの肩の筋肉を硬直させ、フォームを崩しているのです」
私のその、あまりにも的確な指摘に、彼は言葉を失っていた。
私は静かに、そして優しく告げた。
それは、かつて私自身が最も必要としていた言葉だったのかもしれない。
「いいですか、健吾くん。ミスをしてもいいのです」
「過去の一点は、もう返ってはこない。それはただのデータです。重要なのは、そのデータを元に、次の一球をどう打つか」
「…あなたの敵は私ではない。あなたの心の中にいる、あなた自身です。まず、その敵と和解することから、始めてみてはどうでしょうか」
その言葉。
彼の瞳から、少しずつ力が抜けていくのが分かった。
硬直していた肩が下がり、ラケットを握る力も自然になる。
彼は深く息を吸い込み、そして私に向き直った。
その瞳には、もう緊張の色はなかった。
ただ、純粋に卓球を楽しもうとする、一人の選手の光が宿っていた。
「…もう一本、お願いします。しおり先輩」
「…ええ」
再び、ラリーが始まる。
彼のボールは、先ほどとは全く別物だった。
しなやかで、力強く、そして何よりも楽しそうだ。
私もまた、その「対話」を楽しんでいた。
(…そうか)
(これが、この「目」の本当の使い方なのかもしれない)
相手を破壊するためではなく。
相手を分析し、理解し、そしてその人が持つ本来の輝きを引き出すために。
私のこの、呪われた「傷跡」は、誰かを癒やすための「力」にも、なりうるのかもしれない。
その新しい可能性の光が、私の心を、静かに、そして温かく照らし始めていた。




