舞い戻る謎のカットマン(4)
しおりさんと同じ想いを胸に。
私は、その決戦の舞台へと、静かに足を踏み入れた。
決勝の相手は、田村さん。この地区の強豪校、三年生の主将。
私とは対極。全てをパワーでねじ伏せる、超攻撃型の選手だ。
まさしく、「矛」と「盾」の戦い。
試合が、始まる。
序盤から、試合は一方的な展開となった。
彼女は獣のような咆哮と共に、次々とドライブを叩き込んでくる。
私はただひたすらに台から下がり、その猛攻をカットで凌ぎ続けた。
パァン!と体育館に響き渡る、彼女の打球音。
対する私の打球音は、シュッ、という静かな音だけ。
その、あまりにも対照的な光景。
誰もが彼女の勝利を確信しただろう。
しかし、私の心は凪いでいた。
(…あなたの最強の武器は、そのパワー)
(しかし、それしか、ない)
私は彼女の猛攻を受け続けながら、冷静にデータを収集していた。
打球のコース、回転の癖、そして何よりも、彼女の呼吸のリズム。
一点、また一点と失点を重ねる。
だが、それでいい。
必要な失点、これは布石だ。
幽基 5 - 9 田村
彼女の額には大粒の汗が浮かんでいる。
そして、その動きに、ほんのわずかな油断が見え始めた。
(…来た)
彼女が放ったドライブが、ほんの少しだけ甘くなる。
私は、その瞬間を見逃さなかった。
それまでの守備的なフォームから一転、私は踏み込み、そしてカウンタードライブで彼女のコートのオープンスペースを撃ち抜いた。
その一点から、試合の流れが変わり始める。
彼女の思考に「カウンター」という選択肢が生まれたことで、その強打にほんのわずかな「迷い」が生じる。
その迷いが、彼女のフォームをさらに崩していく。
そこからは、まさに魂の削り合いだった。
彼女のパワーか、私の粘りか。
スコアは一点を取り合う、ギリギリの応酬。
デュース、またデュース。
体育館の全ての視線が、私たちのその一点に注がれている。
そして、最後のラリー。
疲れ果てた彼女が放った最後の一球は、無情にもネットの白い帯に吸い込まれていった。
幽基 15 - 13 田村
第一セットは、私が取った。
ベンチに戻ると、佐藤先生と部員たちが駆け寄ってくる。
「やったな、幽基!」
「部長、すげえ!」
その賞賛の声に、私はただ小さく頷きを返すだけ。
ベンチに手をつき、ひんやりとした金属の感触で熱を逃がす。
しかし、私の心は少しも満たされてはいなかった。
これは、喜びではない。
ただの結果だ。
私が果たすべき、最低限の義務。
(…見ていてください、しおりさん)
(あなたの帰る場所は、私が守ります)
その声にならない声だけが、私の空っぽの心の中に静かに響いていた。
「まだ終わっていません。このまま畳み掛けます」
私のその静かな宣言に、佐藤先生はただ頷くことしかできなかった。
インターバルを終え、コートに戻ってきた田村さんの瞳には、明らかな焦りの色が浮かんでいた。
第一セット、あれだけ攻め続けながら最後は競り負けた。その精神的なダメージは計り知れない。
彼女は早く自分のペースを取り戻したくて仕方ないはずだ。
サーブ権は、彼女から。
私はラケットを構える。そのフォームは第一セットと同じ、カットマンのそれだ。
しかし、私の心の中は、静かな闘志で満ち溢れていた。
(私も、この一年でレベルアップしています。その成果を出して勝つ…!)
彼女が放ったのは、上質な下回転のロングサーブ。
私を再び、あの泥臭いカットのラリーへと引きずり込むための一球。
しかし。
私は、そのボールがバウンドするよりも早く動いていた。
台から下がるのではない。
前へと、踏み込む!
私のその予測不能な動きに、田村さんの肩がびくりと震える。
私は彼女のサーブが頂点に達するその瞬間を完璧に捉え、そしてフォアハンドで振り抜いた!
二球目攻撃。
強烈なカウンタードライブが、呆然と立ち尽くす彼女の横を、閃光となって駆け抜けていく。
幽基 1 - 0 田村
体育館が、どよめく。
そうだ。私の戦い方は、一つではない。
ここからが、私の本当の戦いだ。
私はもう台から下がらない。
前陣に張り付き、彼女の全てのボールをライジングで捉え、そして鋭く左右に切り裂いていく。
カットマンだと思っていた相手が、突然、超攻撃型の選手へと変貌したのだ。
(しおりさんの背中から教わった、あらゆるものを武器にする戦い方。私も裏ソフトでカットしているのだから、前陣で戦える)
(特に、しおりさんから貰った裏ソフト、ディグニクス80というラバーは、何かに特化しているわけではないが、あらゆる場面で高水準を保ってくれる…)
その戦術の変化に、彼女の思考は完全に追いついていない。
彼女の最大の武器であったはずのパワーボール。
しかし、前陣で速いピッチで左右に振られ続ければ、その強靭な肉体も完璧なフォームを維持することはできない。
彼女の返球は、少しずつ甘くなっていく。
私は、その甘いボールを一切の情けもなく叩き潰していく。
スコアは、一方的に開いていった。
幽基 4 - 1 田村
幽基 7 - 2 田村
幽基 9 - 3 田村
彼女の瞳から、光が消えていくのが分かった。
闘志の炎が、絶望の雨に打たれて消えていく。
そして、最後の一球。
私の放ったドライブが、彼女のラケットを弾き飛ばし、そしてコートの外へと転がっていった。
幽基 11 - 5 田村
第二セットも、終わった。
第一セットとは比べ物にならないほどの、圧勝。
私は静かに一礼し、ベンチへと戻る。
その表情には、何の感情も浮かんでいない。
ただ、一つのミッションを完璧に遂行した兵士のように。
(…これが、私の「解」)
(見ていてください、しおりさん)
その声にならない声だけが、私の心の中に静かに響いていた。
私の、灰色の夏は、まだ終わらない。




