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異端の白球使い  作者: R.D
引き継がれる異端 それぞれの過去

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脅し

 翌日の午後。


 私の病室のドアがノックされ、校長が入ってきた。


 その後ろには、硬い表情をした佐藤先生の姿もある。


 校長は私に一瞥をくれると少しだけ嫌な顔をしたが、すぐに人の良い教育者の仮面を被り直した。


(…まあ、いいでしょう。先生が、この取引の証人です)


 私は静かにそう思考し、二人を部屋へと招き入れた。


「やあ、静寂さん。昨夜は先生から話を聞いて驚いたよ。わざわざ私を呼び出すなんて、一体どうしたのかな?何か悩み事でも、あるのかね?」


 その、いかにも心配しています、と言いたげな白々しい言葉。


 私はその茶番に付き合うことなく、単刀直入に本題を切り出した。


 その声は、どこまでも平坦だった。


「校長先生。私がなぜここにいるのか。その本当の理由を、あなたはご存じのはずです」


「…何を言っているのかな?あれは、不幸な事故では…」


「事故、ではありません」


 私のその、静かな、しかし絶対的な否定の言葉が、彼の言葉を遮る。


 私は、続けた。


「私が全ての真実を公にした場合、あなたの身に何が起きるか。…あなたほどの頭脳の持ち主なら、容易に想像がつくはずです」


 部屋の空気が、凍りついた。


 校長の額に、じわりと汗が滲む。


 私はその動揺を見逃さず、最後の一手を打った。


 それは、彼の心の最も脆い部分を突き刺す、氷の刃だった。


「…先生。あなたは、あと二年で定年退職だと伺いました」


「長年の教師生活を終え、多額の退職金と名誉を手に入れて、穏やかな老後を過ごす。素晴らしい人生設計ですね」


「…そのご予定、無事に迎えたいと、思いませんか?」


 その言葉。


 それは、もはや交渉ではない。


 まぎれもない「脅迫」だった。


 隣で聞いていた佐藤先生が、息をのむ気配がした。


 校長は、わなわなと震えていた。


 その表情は怒りか、屈辱か、あるいは恐怖か。


 しかし、彼にはもう選択肢は残されていなかった。


 彼はついに観念し、そして絞り出すように言った。


「………何を、望む」


 私は満足し、あらかじめ用意していた「取引条件」を提示した。


 部の予算の倍増。


 プロのコーチの招聘。


 そして、部の運営への一切の不干渉。


 そのあまりにも一方的な要求。


 しかし、彼はもはやそれに反論する力もなかった。


 彼は死んだような声で、ただ「…分かった」とだけ呟いた。


 取引は、成立した。


 一見すれば、Win-Winだ。


 私は部の未来を、校長は自らの平穏を手に入れた。


 しかし、その本質は違う。


 これは、魔女が愚かな王様から、その魂の半分を奪い取ったという、ただそれだけの物語だ。


 校長が逃げるように部屋を出ていった後。


 病室には、私と、そして壁際に彫像のように立ち尽くす佐藤先生だけが残された。


 彼は、信じられないといった顔で私と空っぽになったドアを交互に見ている。


 私はそんな彼に、悪戯っぽく笑いかけてみせた。


 それは、私が取り戻した、新しい心の形。


「…ずいぶん、あっさりと引き下がりましたね、校長先生。少し拍子抜けしました」


 私のそのあまりにも平然とした言葉に、先生はようやく我に返ったようだった。


 彼は震える声で、私に尋ねる。


「…しおり君。君は、これを…いつから、こんなことを…」


「用意、ですか」と、私は首を傾げた。


「いいえ。ある程度こうなるだろうとシミュレーションはしていましたが、プランを確定させたのは、昨夜、先生の覚悟を聞いた後です」


「…昨夜…?」


「はい」


 私は静かに、続けた。


 それは、私がこの一年間で学んだ、新しい世界のルール。


 そして、目の前のこの誠実な大人に伝えなければならない、一つの悲しい真実。


「…校長先生も、昔はあなたのような教育熱心な先生だったのかもしれません」


「生徒のために泣き、笑い、そして本気で怒ってくれるような、熱い魂を持っていたのかもしれない」


「…!」


 先生が、息をのむ。


「けれども、きっと彼は知ってしまったのでしょうね。この組織の中で生き残るためには、そんな青臭い理想は邪魔なだけなのだと。生徒の顔色よりも、上のご機嫌をとることが何よりも重要だと」


「そして彼は選んだのです。自らの手で、その教育への熱い炎を、冷たい保身の水の中へと沈めることを」


 私はそこで一度言葉を切り、そして彼に、最後の、そして最も残酷な真実を告げた。


「先生。私が今日対峙していたのは、校長先生、本人ではありません」


「私が戦っていた相手は、彼の中に巣食う『保身』という名の、どうしようもない病です」


「そして、その病に一度魂を売り渡してしまった人間は、いとも簡単に崩れ去る。…私はただ、その法則を利用したに過ぎません」


 その、あまりにも冷徹で、そしてどこまでも真実を捉えた私の分析。


「…勝つというのは、リスクをとるということ……」


 佐藤先生は、呟く。


 そして、目の前の車椅子の少女が、自分よりも遥かに深く、世界のどうしようもない仕組みを理解してしまっているという事実に、打ちのめされていた。


 私は、そんな彼に静かに微笑みかけた。


 それは、夢の中で一つになった、あの「氷のしおり」の笑みではない。


 全てを背負うと決めた、新しい私の、温かい笑顔だった。


「…これで、私たちの戦う土俵ができましたね、先生」


「もう誰も傷つけず、誰も犠牲にしない。私たちのやり方で、私たちの正義を、これから始めましょう」

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