はじまり (2)
眼下に広がる街に、新しい朝の光が降り注いでいる。
そのどこまでも続く光の道を、私たちは今、確かに、共に歩き始めたのだ。
始発の電車に乗り込むと、温かい暖房の空気が冷え切った体を包み込んだ。
まだ乗客もまばらな車内。
ガタン、ゴトン、という規則正しいリズムが、心地よい子守唄のように聞こえる。
向かいの席では、未来さんとあかねさんが二人寄り添うようにして、静かに眠っている。
そして、私の隣には部長が座っていた。
彼は眠ってはいない。ただ、窓の外を流れていく夜明けの街の景色を、静かに眺めている。
その横顔には、もうあの苦悩の影はなかった。
(…これが、私の世界)
私が命を懸けて取り戻したかった、そしてこれから私が命を懸けて守っていく、世界。
その温かい光景を、私はただじっと胸に刻みつけていた。
やがて電車は、病院の最寄りの駅に着く。
部長は眠っている葵をそっと揺り起こし、そして私を背負って電車を降りた。
未来さんたちとは、駅で別れる。
「じゃあ、また午後に来るね、しおりちゃん!」
あかねさんが、笑顔で手を振る。
私たちは、静かに頷きを返した。
部長は何も言わずに私の車椅子を押し、そして病室まで送ってくれた。
部屋の前に着くと、彼は私をベッドへと移すのを手伝ってくれる。
あのお姫様抱っこではなく、今度はただ静かに私の体を支え、そしてゆっくりとベッドに横たわらせてくれた。
その不器用な優しさが、心地よかった。
「…じゃあな、しおり。また来る」
彼はそう言って、部屋を出ようとする。
「…部長」
私が呼び止めると、彼はドアの前で振り返った。
「…ありがとうございました」
私の、その素直な感謝の言葉。
彼は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに照れくさそうに頭をかき、そして笑った。
「…おう」
その一言だけを残して、彼は部屋を出ていった。
一人になった病室。
私はベッドの中に潜り込む。
徹夜した体は、鉛のように重い。
しかし、私の心は不思議なほど軽やかだった。
もう、怖いものはない。
あの夢の中で、私は私の全てを受け入れた。
光も、闇も。
生も、死も。
その全てを背負って歩くと、決めたのだから。
そして、私の隣には、あのどうしようもなく不器-ようで、そしてかけがえのない仲間たちがいる。
その温かい充足感を胸に。
私の意識は、ゆっくりと穏やかな眠りの海へと沈んでいった。
それは、私がこの一年間で初めて体験する、悪夢の訪れない、ただ安らかな眠りだった。




