表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
引き継がれる異端 それぞれの過去

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

581/694

魂の棋譜

 長い、長い石段を登り切り、俺たちはついに神社の境内へとたどり着いた。


 大晦日の夕暮れ。空は、燃えるような茜色に染まっている。


 俺はしおりを背中からゆっくりと下ろし、近くにあったベンチに彼女を座らせた。


 息を切らせた俺の隣で、彼女は平然としている。


「…去年はあんなに息を切らせていたのに。ずいぶんと体力がつきましたね、部長」


「…うるせえ。走り込みは毎日やってたからな。これぐらい、物の数じゃねえよ」


 俺はそう強がりを言いながら、彼女の隣に腰を下ろした。


 眼下に広がる街の景色。美しい光景だった。


「…懐かしいな」


 俺がそう呟くと、彼女は静かに答えた。


「私にとっては、半年前の時間感覚ですけどね」


「…そうか」


「ええ、全く。気がついたら夏になっていて。…最初は笑えませんでしたよ」


 その淡々とした言葉。


 俺は、彼女に何と声をかけていいか分からなかった。


「しおり…」と、俺が何かを言いかけた、その時。


 彼女はそれを遮るように、静かに語り始めた。


「…私が眠っていた間の話をします」


 俺は息をのんだ。


 彼女は俺の方ではなく、ただまっすぐに夕焼けの空を見つめながら、その不思議な物語を紡ぎ始めた。


「…私の意識は、宇宙のような暗闇の中にいました」


「そこには一つの卓球台と、そして私とよく似た『影』がいたのです」


 彼女は語った。


 夢の中で始まった、もう一人の自分との卓球の試合。


 一点を取るたびにスクリーンに映し出される、過去の記憶。


 葵と出会った、あの温かい始まりの光景。


 そして、父にラケットを折られ、心を砕かれた、あの絶望の記憶。


 彼女の声は、どこまでも平坦だった。


 まるで他人事の出来事を語るように。


 しかし、俺にはその静かな声の奥底にある、魂の震えが伝わってくるようだった。


 彼女は語り続けた。


 自らが犯した過ち。


 葵を守るために、葵を突き放した、あの残酷な嘘。


 そして全てに絶望し、自ら命を絶とうとした、あの国道での記憶。


 その果てにたどり着いた、「死」という甘美な救済への渇望。


「…わたしは、私に選択を迫りました」


「痛みを伴う光の世界か。安らかな闇の世界か、と」


「私は闇を選びそうになった。…でも、最後に思い出したのです。葵と交わした約束を。私の命は、もう私だけのものではないと」


 そして、彼女は語った。


 自らの意志でサーブ権を奪い返し、「光も闇も、全て背負って歩く」と決意した、あの最後の一球を。


 氷の自分と、暖かい自分が一つに溶け合う、あの瞬間の感覚を。


「…そうして、私は目覚めました」


 長い、長い物語が終わる。


 俺は、言葉を失っていた。


 俺が東京で罪悪感に苛まれ、自分を痛めつけている間、彼女は、意識のない世界でこれほどまでに壮絶な戦いを一人続けていたというのか。


 俺は、自分の愚かさが恥ずかしくてたまらなかった。


 そして同時に、目の前にいるこの小さな少女の、そのあまりにも気高い魂の強さに、ただ心を打たれていた。


 俺は、ようやく一つの言葉を絞り出した。


「…そうか」


「…お前は、ずっと戦ってたんだな。俺なんかより、ずっとすごい場所で」


 その俺の言葉に、彼女は初めてこちらを向き、そしてあの全国の頂点で、彼に見せたとびっきりの笑顔を浮かべて言ったのだ。


「はい。だから、もう部長が一人で苦しむ必要はないのです」


「これからは私も一緒に、その荷物を背負いますから」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ