オカルト
大晦日の昼下がり。
俺のスマートフォンの着信音が鳴った。
画面に表示されたのは、「しおり」の名前。
俺は少しだけ驚きながら、その電話に出た。
「…もしもし?」
『…部長。今、お時間よろしいですか』
その声は、以前よりもずっと滑らかになっていた。しかし、その静かな響きは変わらない。
「おう。どうした?」
『…お願いがあります。今から会えませんか。そして、連れて行ってほしい場所があるのです』
俺は、二つ返事で了承した。
彼女のその声には、断ることなどできない不思議な力が宿っていたから。
病院で彼女をピックアップし、俺は彼女の車椅子を押しながら歩き始めた。
「それで、どこに行-くんだ?」
「…神社です」と、彼女は言った。「去年、私たちが初詣に行った、あの神社へ」
隣の県にある、あの小さな神社。
俺は少しだけ驚いたが、笑いながら頷いた。
電車に乗り込み、窓の外を流れる冬の景色を眺める。
その道中、彼女は静かに、そして唐突に切り出した。
「…あの神社のおみくじ。中々に的中させられました」
「は?おみくじ?」
「ええ」
彼女はそう言ってスマートフォンを取り出し、一枚の写真を俺に見せた。
それは去年、彼女が引いたおみくじの写真だった。
そこに書かれた言葉。
願望: 道の半ばまでは、思うがまま。しかし、その先に、大きな障害あり。
待人: 現れる。だがそれは、救いではない。
失物: 見つかる。だが、それはもう、元の形ではない。
病気: 命の危機、目前に迫る。油断大敵。
その一つ一つの言葉が、俺の胸に重く突き刺さる。
まるで、俺たちのこの一年を予言していたかのような、その言葉。
「…『命の危機』。実際に現れましたね」
彼女は、他人事のように淡々と言った。
「非合理的で、オカルトです。でも、少しだけ気になってしまう」
俺は、何も言えなかった。
彼女が今、どんな気持ちでこれを俺に見せているのか。
その真意を測りかねていた。
やがて電車は目的の駅に着く。
俺は彼女の車椅子を押し、そしてあの懐かしい神社の石段の前に立った。
大晦日の神社は、まだ人もまばらで静かだった。
彼女は、何を思っているのだろうか。
この一年を振り返り、そして神様に何を祈るのだろうか。
俺はただ黙って、彼女のその小さな背中を見つめていた。
冷たい冬の風が、俺たちの間を静かに吹き抜けていった。
俺たちの長い一年が、今、終わろうとしている。
そして、新しい一年が始まろうとしている。
その境界線の上で、俺たちはただ静かに立っていた。
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大晦日の昼下がり。
私はスマートフォンの通話ボタンを押した。
数回のコールの後、少しだけぶっきらぼうな、でも聞き慣れた彼の声が聞こえる。
『…もしもし?』
「…部長。私です」
私が連れて行ってほしいと告げたのは、あの神社だった。
去年、私たちがまだ何も知らず、ただ幸福の絶頂で初詣に訪れた、あの場所。
彼は何も聞かずに、ただ「分かった」とだけ言ってくれた。
電車に揺られながら、私は窓の外ではなく、目の前に座る彼の顔を観測していた。
一年前とは、違う。
あの頃の無邪気な熱血漢の光は、彼の瞳から消えている。
その代わりにそこにあるのは、深い後悔と、そしてそれを乗り越えようとする静かな覚悟の色。
彼もまた、この一年で私と同じように、戦ってきたのだ。
やがて私たちは目的の駅に着く。
彼が押してくれる車椅子に揺られながら、私はあの懐かしい神社の参道を進んでいく。
年の瀬の、静かな空気。
私はポケットからスマートフォンを取り出した。
「…部長。これを、覚えていますか?」
私が見せたのは、一枚の写真。
去年、ここで私が引いた、おみくじ。
彼は、その画面を食い入るように見つめている。
「…『命の危機、目前に迫る』」
私は淡々と、その一文を読み上げた。
「非合理的で、オカルトです。私の思考ルーチンは、これをただの偶然として処理すべきだと結論付けている。…でも」
私は、言葉を続ける。
「私の心のどこかが、気になってしまっている。この神様は、もしかしたら本当に未来が見えていたのではないか、と」
私は、もう一つの一文を指差した。
失物: 見つかる。だが、それはもう、元の形ではない。
「…私のことですね」
「一度失われた私の命。そして、見つかったこの命は、もう元の形ではない」
その、あまりにも的確な予言。
部長は息をのんだまま、何も言えずにいる。
そうだ。
私は彼にこれを見せるために、ここへ来たのだ。
私とあなたは、同じなのだと。
理不尽な運命に翻弄され、そして元には戻れない傷を負った、仲間なのだと。




