対話
「…悪かったな、しおり」
「もう一本、付き合え。今度は、俺のサーブだ」
その、私がずっと見たかった、熱い笑顔。
私は、消耗しきった体に鞭を打ち、車椅子から彼を見上げた。
そして、ほんの少しだけ意地悪く笑ってみせる。
「…汚名返上、してください。部長」
私はそう言って、すっと手を差し出した。
無言で飲み物を求める、その仕草。
彼は一瞬きょとんとしたが、すぐにその意図を察し、苦笑いを浮かべた。
「…へいへい」
彼は、車椅子の後ろにかけてあった私の水筒を取り、その蓋を開けて私に渡してくれる。
喉を潤すその数秒間が、嵐の前の静けさのようだった。
私は彼に、コートに立つように目線で促す。
そして、再び卓球台を支えに、ゆっくりと立ち上がった。
その姿に、彼はもう驚かない。ただ、真剣な眼差しで私を見つめている。
「…打って」
その一言を合図に、彼が動いた。
放たれたのは、彼の全ての力が乗せられた渾身のトップスピンのかかったパワーサーブ。唸りを上げて、私のコートへと突き刺さってくる。
私は、それをアンチラバーで受ける。
回転を殺し、短く、彼のフォアサイドへと返す。
そこから始まったのは、壮絶な攻防だった。
彼は泥臭くボールに食らいついてくる。一球でも甘いボールが来れば、それを粉砕せんと全身全霊のドライブを叩き込んでくる。
私はその猛攻を、優雅に、そして冷徹にいなし続ける。ラケットの角度と手首の柔らかさで彼の力を受け流し、時に鋭いストップでその巨体を前後に揺さぶる。
ラリーが、10本、15本、そして20本を超えた、その時だった。
私の体に、限界が訪れた。
足が震え、視界がかすかに霞む。
(…まずい…倒れる…!)
彼が放った最後の一球が、私のバックサイド深くに突き刺さる。
もう、体は動かない。
私は横に倒れ込みながら、それでも諦めなかった。
その、倒れ込む体の勢い、その全てを利用して、ラケットをしならせるように、ボールの下を薄く、そして鋭く切り裂いた。
放たれたツッツキは、か細い軌道を描き、彼のコートのネット際にぽとりと落ちる。
そして。
ボールは彼のコートで一度高くバウンドし、そして、まるで生きているかのように逆回転しながら、再びネットを越え、私のコートへと戻ってきたのだ。
彼が呆然と、その「魔球」の軌道を見送った、その時。
私は、すでに床に倒れ込んでいた。
「――しおりっ!!」
彼が慌ててネットを回り込み、私の元へと駆け寄る。
そして、その大きな腕で私の体を優しく抱き起し、車椅子へと座らせてくれた。
私は、息を弾ませ、汗だくのまま彼を見上げた。
そして、悪戯っぽく笑った。
「…ふふっ…。私の勝ち、ですね」
その言葉に、彼は一瞬呆気に取られたが、やがて天を仰ぎ、そして心底楽しそうに笑った。
「…はははっ!ああそうだ!敵わねえよ、お前には…!」
その笑い声は、もう罪悪感に濡れてはいなかった。
それは一人の好敵手に完敗した、清々しい笑い声だった。
私は、彼のその変わり果てた、いや、元に戻ったその姿に満足し、そして静かに告げた。
「…部長。病室へ、戻ります。押してください」
「…おう」
彼は何も言わずに、私の車椅子の後ろに立った。
私たちの、長くて不器用なリハビリは、今、確かに終わった。
夕暮れの病院の廊下に、二つの影がゆっくりと伸びていく。
それはもう、孤独な影ではなかった。




