表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異端の白球使い  作者: R.D
第二期 引き継がれる異端

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

561/694

再開(5)

 あれから、さらに数ヶ月が過ぎた。


 季節は夏を越え、秋の気配が病室の窓を撫でる。


 私の世界は、ゆっくりと、しかし確実に広がりを取り戻していた。


 言語聴覚士の山口先生とのリハビリは今も続いている。


 私の口から紡がれる言葉は、もう途切れ途切れの音ではなかった。


 診察に来てくれた富永先生に、私は流暢に不満を漏らしていた。


 彼は、楽しそうに笑う。


「ははは、君は本当に君のままだね。焦らなくていい。そのもどかしさこそが、君の脳が必死に新しい回路を繋ぎ直している証拠だよ」


 言葉は戻ってきた。


 思考もクリアだ。


 しかし、私の体はまだ重い鎖に繋がれたままだった。


 その日、私は理学療法士の斉藤先生と、そして毎日欠かさず通ってきてくれる葵と共に、病院のリハビリテーション室にいた。


 広く、そして様々な器具が並ぶその場所。


 そこは、私にとって新しい「戦場」だった。


「さあ、しおりさん。今日の目標は、『立つ』ことです」


 斉藤先生が、平行棒を指差しそう言った。


 立つ。


 かつての私なら、呼吸をするのと同じくらい無意識にできていた行為。


 それが、今の私にとっては、あまりにも高く、そして険しい頂だった。


 車椅子から平行棒の前に移される。


 葵が私の正面に立ち、その両手を固く握ってくれた。


「大丈夫、しおり。私が絶対に離さないから」


 その太陽のような笑顔が、私の恐怖を少しだけ和らげてくれる。


「いいですか、しおりさん。焦らないで。まずは、自分の足の裏で床を感じることから」


 斉藤先生の声に従い、私は震える足に意識を集中させる。


 そして、葵の手を支えに、ゆっくりと腰を上げた。


 ぐらり、と世界が揺れる。


 足が自分の体重を支えきれずに、生まれたての子鹿のようにガクガクと震えた。


 全身の筋肉が、悲鳴を上げる。


 ダメだ。立てない。


 私の心が折れかけた、その瞬間だった。


「しおり!立て!立ってよ!」


 葵の、叫ぶような声が響く。


 その声は、命令だった。


 私を信じ、そして私に戦うことを求める、親友からの魂の命令。


 そうだ。


 私は、ここで負けるわけにはいかない。


 私は、全てを背負うと決めたんだ。


 私の瞳に、再び闘志の炎が灯る。


 私は歯を食いしばり、そして足の指先にありったけの力を込めた。


 ゆっくりと、ゆっくりと、私の体が持ち上がっていく。


 そして。


 ついに、私の両足が完全に伸び切った。


 私は、立っていた。


 自分の足で。


 この、大地の上に。


 視界が高い。


 ずっと見上げていた葵の顔が、今、同じ高さにある。


 彼女の瞳から涙が溢れているのが見えた。


 その涙が、あまりにも綺麗で、私の胸が熱くなった。


 数秒後。


 私の体は限界を迎え、再び車椅子へと崩れ落ちる。


 呼吸は荒く、全身は汗でびっしょりだ。


 しかし、私の心はこれまでにないほどの達成感に満たされていた。


 斉藤先生が、満足そうに頷いている。


「…ようこそ、しおりさん。地獄のリハビリへ」


 その冗談めかした、しかしどこまでも真剣な言葉。


 私は、息を弾ませながら、そして笑って答えた。


 それは、私の新しい人生の始まりを告げる、力強い第一声だった。


「…望むところです」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ