引き継がれるバトン
私は、ゴクリと唾を飲み込み、そして、彼女の、次の言葉を待った。
鈴木先生は、私を、近くの応接室へと通してくれた。
そして、重い口を開いた。
「…あなたが、しおりちゃんの、今の一番の友達なのね。ありがとう。あの子のそばにいてくれて」
その言葉には、深い感謝と、そして、それ以上の、後悔の色が滲んでいた。
「…先生は、あの子のことを…」
「ええ」と、彼女は頷いた「私は、しおりちゃんと、そして、葵ちゃんの担任でしたから」
彼女は語り始めた。
まず、葵ちゃんのこと。
「葵ちゃんはいじめられていた。 私も、その事実は認識していたわ。でも、彼女自身が、誰にも相談できずに、心を閉ざしてしまっていた。周りの子たちに聞いても、『いじってるだけ』だと。被害者が認めなければ、いじめはただの、いじりになる。 そんな、詭弁の前で私は、何もできなかった。介入ができなかったの」
その声は、教師としての無力さを悔やむ声だった。
「そんな時、しおりちゃんが転校してきた。」
先生の瞳に、ほんの少しだけ光が宿る。
「彼女は違った。彼女は、そんな葵ちゃんと、教室にある、見えない壁を、意図も簡単に蹴破り、そして、彼女を救ってみせた。 あの時の二人は、本当に輝いていたわ。暫くは、本当にいい関係だった」
だが、その光は、すぐに影に覆われる。
「…しかし、日を追うごとに、彼女の背景が見えてきた。 いつも同じ服を着ていること。夏でも、長袖を着ていること。そして、時折見せる、その瞳の奥の、深い闇…」
先生の声が、震える。
「…私は、しおりちゃんが、両親から虐待を受けていることに気づいてしまった。 ある日、体育の授業で着替える時に、偶然見てしまったの。彼女の背中にある、見えないところにある、無数の傷を」
「私は、校長や教頭と会議し、秘密裏に児童相談所に相談し、救出を試みていた。 でも、証拠がない。彼女自身が、何も話してくれない。大人が介入するには、あまりにも壁が高すぎた」
「その矢先だった。しおりちゃんが、自殺未遂をしてしまったのは」
その、衝撃的な事実に、私の呼吸が、止まる。
「そして、全てが明らかになり、彼女は祖父母に引き取られて、転校していった。…私は結局、何もできなかった。もっと早く気づいてあげていれば。もっと強く、踏み込んでいれば…」
先生はそう言って、後悔を噛み締めるように、唇を強く結んだ。
そして彼女は、私の目を、真っ直ぐに見て言った。
その瞳には、涙が浮かんでいた。
「…三島さん。お願い。彼女のことを、お願い。 今度こそあの子が、心から笑える場所を、作ってあげて。ここまで辿り着いたあなたなら、それができるはずだから」
その、あまりにも重いバトン。
私は、ただ震える声で「はい」と、答えるのが、精一杯だった。
しおりちゃんの背負ってきた闇は、私が想像していたよりも、ずっとずっと深く、そして暗かった。
でも、もう迷わない。
私が、あなたの光になってみせるから。




