壊れた人形 (3)
私の意識は、完全に人工的な、深い闇の中へと沈んでいった。
そこには、痛みも、悲しみも、絶望もない。
ただ、どこまでも続く無だけがあった。
それは、ある意味で私が望んでいた安らぎだったのかもしれない。
二週間ほど、私はその白い部屋の中で過ごした。
記憶は断片的だ。
目が覚めれば看護師さんがいて、食事を運んできてくれる。
薬を飲む時間。
そして時折、富永先生がやってきて、穏やかな声で私に語りかけてくる。
私はそれに、ほとんど答えなかった。
ただ、ぼんやりと彼の声を聞いていただけ。
だが、その穏やかで規則正しい日々の中で。
私の心の中の嵐は、少しずつ、少しずつその勢いを弱めていった。
薬の効果もあったのだろう。
そして何よりも、ここが「安全な場所」であるという絶対的な安心感が、私の頑なに閉ざされていた心を、ゆっくりと解きほぐしていったのかもしれない。
ある日、私は久しぶりに夢を見た。
それは、しおりと初めて出会った、あの小学二年生の秋の日の夢。
一人ぼっちだった私に、彼女が声をかけてくれた、あの瞬間。
「すごい。きれいな、色」
その言葉と、彼女の不器用な笑顔。
夢の中の私は、久しぶりに笑っていた。
目が覚めた時、私の頬を涙が一筋伝っていた。
でも、それはもう絶望の涙ではなかった。
温かくて、そしてどこか懐かしい涙だった。
その日を境に、私は少しずつ落ち着きを取り戻し、現実も見えるようになっていった。
食事もきちんと食べるようになったし、富永先生との会話も少しずつ増えていった。
そして、窓の外の景色にも色が戻ってきた。
退院が決まったのは、それから数日後のことだった。
父と母が、迎えに来てくれた。
二人の顔には、深い安堵の色が浮かんでいる。
私は、そんな二人に、小さな声で「ごめんなさい」と言った。
母は、何も言わずに、ただ私を強く抱きしめてくれた。
病院を出る前に、私はもう一度だけ、あの三階の病室の方角を見上げた。
しおりは、まだあそこにいる。
私が向き合うことを諦めた現実の中で、たった一人で戦い続けている。
(…ごめんね、しおり。私、逃げてた)
でも、もう逃げない。
私も、戦う。
あなたがいつか目覚めたその日に、「おかえり」と笑って迎えてあげられるように。
その日まで、私は私の世界で、必死に生き抜いてみせる。
たとえ、それがどれだけ辛くても。
空は、どこまでも青く澄み渡っている。
私の止まっていた時間が、今、再び静かに、そして確かに動き始めた、その瞬間だった。




