異常性
私は、職員室を後にした。
夕暮れの廊下に、私の足音だけが、静かに響いていた。
(…「いじめ」じゃ、なかった…)
先生の言葉が、頭の中で反響する。
(あの子は自ら壁を作っていた。誰も寄せ付けない、分厚い氷の壁をね。)
バスに揺られながら、私はずっと、その言葉の意味を、考えていた。
自ら選んだ、孤独。
小学五年生の、女の子が?
そんなこと、あるだろうか。
私が小学五年生の時は、どうだっただろう。
友達と、学校の帰りに、駄菓子屋に寄って。
テレビのアニメの話をして。
明日の給食の献立に、一喜一憂して。
そんな、他愛のない毎日。
それが「普通」のはずだ。
なのに、彼女は違った。
たった一人で、氷の壁の中に、閉じこもっていた。
(…異常だ)
そうだ。
その異常性に、私はずっと気づいていたはずなのに、目を逸らしていた。
私が初めて、彼女の卓球を見た、あの日から。
あれは、中学に入って、すぐの頃だった。
何気なくつけた、テレビのローカルニュース。
そこに映っていたのは、クラスメイトの静寂しおりだった。
市町村大会の、決勝戦。
学校で見る彼女とは、全く違う、その姿。
氷のように、冷たい瞳。
そして、相手を翻弄する、あまりにも異端な卓球。
あの時私は、ただ「すごい」と思った。
でも、今なら分かる。
あれは、「すごい」だけじゃなかった。
あれは、彼女の、心の叫びだったのだ。
(…そうか)
私は、バスの窓に写る、自分の顔を見た。
(しおりちゃんは、中央小学校に来る、もっと前から、ずっと一人で戦っていたんだ)
(あの、どこか気高く、どこか冷たい、しおりちゃんが完成されていたのは、もっともっと、昔のことなんだ)
いじめなんかじゃない。
もっと深い、もっと暗い、何か。
彼女が、自ら心を閉ざさなければ、ならなかったほどの絶望。
葵ちゃんと、離れ離れになる前の、あの時期に、一体何があったのか。
私の心の中に、新しい、そして、本当の問いが生まれた。
私が探すべきは、そこなのだ、と。
しおりちゃんの笑顔が失われた、本当の理由。
その答えを見つけ出すまで、私の捜査は終わらない。
家に帰り、そして、まっすぐに、お風呂場へと向かう。
温かいお湯に浸かりながら、私は今日手に入れた情報を、頭の中で整理していた。
(「いじめ」はなかった。しおりちゃんは、自ら心を閉ざしていた…)
(そして、その原因は、中央小学校に来る、もっと前の出来事…)
(葵ちゃんと、離れ離れになる前の、あの時期に、一体何が…?)
次の行動を、考える。
選択肢は三つ。
一つは、もう一度第五中学校で、噂を集めること。
でもそれは、もう意味がないだろう。一年生たちが知っていた「いじめの噂」も、結局は、偽りの情報だったのだから。
二つ目は、しおりちゃんが倒れた、事件そのものを聞き込みすること。
でも、誰に?
聞き込む当てもないし、かえって悪目立ちすることになりかねない
ならば、答えは一つしかない。
答えは決まっていた。
しおりちゃんが、葵ちゃんと一緒に通っていたという、あの、第六小学校へ、聞き込みに行くしかない。
そこに、全ての始まりがあるはずだ。
問題は、どうやって聞き込むか。
中央小学校での幸運が、もう一度起きるとは、限らない。
だが、ヒントはあった。
中央小学校の先生は、しおりちゃんのことを、よく覚えていた。
ならば。
(そうだ。今度は、しおりちゃんの担任だった人を探そう)
あれだけインパクトのありそうな生徒を、担任だった人が、忘れるわけない。
そして、私は知っている。
先生という人種は、教え子のためなら、どこまでも優しく、そして、親身になってくれるということを。
新聞部なんていう、嘘じゃない。
もっと、真っ直ぐに。
(「しおりちゃんの力になるために、来ました」って、そう言えば、きっと教えてくれるはずだ)
私は、お風呂から上がり、そして、鏡の前に立った。
よし。
決まりだ。
次の目的地は、隣の県、市立第六小学校。
待っててね、しおりちゃん。
私が必ず、あなたの、過去の謎を、解き明かしてみせるから。




