カットマン
部長の勝利と、その後の私たちのやり取りは、控え場所にいた他の部員たちにも少なからぬ衝撃を与えていた。
私と部長の関係性に対する新たな憶測や、私の「異端」な言動への戸惑いが、彼らの纏う靄の色を複雑に揺らしている。
あかねさんは、ノートに何かを書き込みながらも、時折心配そうに、しかしどこか面白がるような視線で私と部長を見比べていた。
部長は、先ほどの試合の興奮冷めやらぬといった様子で、しかしどこか満足げに汗を拭っている。
彼が私を「しおり」と呼んだことは、私自身の分析においても、重要な関係性の変化を示すデータとして記録された。
それが何を意味するのか、結論を出すのはまだ早いが、少なくとも不快なものではない。
…部長との共闘関係における心理的距離の変化。相互作用による行動パターンの変容。興味深い観察対象だ。
…それに、このノイズは、どこか暖かく、感じていても悪くない。
次の試合まで、それほど時間は空かなかった。
私は、先ほどの鬼塚たちの悪意の残滓を思考の隅に追いやり、意識を完全に次の対戦相手へと切り替える。
二回戦の相手は、市内の中学校の三年生、カット主戦型の選手。
名前は…確か、「鈴木」といったはずだ。安定した守備力と、粘り強さが特徴だと記憶している。
「しおり、次はカットマンだな。お前のアンチラバーがどう活きるか、見ものだな。」
部長が、既に私の次の対戦相手を把握しているかのように声をかけてきた。
彼もまた、この大会で勝ち進むために、他の選手のデータを収集し、分析しているのだろう。
「…カット主戦型に対するスーパーアンチの有効性は、理論上は高いと分析しています。相手の強烈な下回転をナックルで返球することで、相手の予測を乱し、攻撃の起点を無効化できる可能性があります。」
私は淡々と答える。
「理論だけじゃ勝てねえのが卓球の面白いところだ。だが、お前なら、その理論を現実に変えちまいそうだな。」
部長は、ニヤリと笑って私の肩を軽く叩いた。その言葉には、私への信頼が滲んでいる。
やがて、館内アナウンスが私の名前と対戦コートを告げた。
「しおりさん、頑張って!」
あかねさんの声援を背に、私は静かにコートへと向かう。
卓球台の向こう側には、既に相手選手、鈴木さんが立っていた。
小柄だが、その佇まいには三年生らしい落ち着きと、カットマン特有の粘り強そうなオーラが感じられる。
彼女は、私の姿を認めると、軽く会釈してきた。
その瞳の奥に、私の「異端」なプレースタイルに対する警戒心と、それをどう攻略するかという冷静な分析の色が浮かんでいるのを、私は見逃さない。
…鈴木選手、カット主戦型。
精神的安定性は高いと推測。私の変化球に対し、冷静に対応してくる可能性大。序盤は、相手のカットの回転量とコースの精度を分析する必要がある。
…いずれにせよ、勝つのは私だ
審判のコールと共に、試合が始まった。
私のサーブ、相手はカットマン。初手からトリッキーなサーブで撹乱するよりも、まずは相手の守備の質を見極めるため、私は裏ソフトで、回転量の多い下回転サーブを、相手のバックサイド深くに送った。
鈴木選手は、そのサーブに対し、綺麗なフォームで、体全体を使って鋭くカットしてきた。
ボールは、強烈な下回転を帯び、高く、そして深く私のフォアサイドへと返ってくる。
…回転量、予測以上。そして、コースも正確。さすがは三年生のカットマン。
私は、その強烈な下回転カットに対し、一瞬早く打点を捉え、ラケットをスーパーアンチの面に持ち替えた。
そして、ボールの威力を吸収するように、しかし確実にコントロールして、相手のフォア前に、ふわりと短いナックル性のボールを落とす。私の得意とする「デッドストップ」に近い球質だ。
鈴木選手は、そのボールの変化に一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに体勢を立て直し、細やかなフットワークで前に踏み込み、ラケット面を慎重に合わせてそのナックルボールを拾い上げてきた。
ボールは、再び高い軌道を描き、しかし今度は回転の少ない、やや扱いにくいボールとなって私のバックサイドへ返ってくる。
…対応が速い。そして、ナックル処理も的確。一筋縄ではいかない。
私は、その緩いボールに対し、再びラケットを持ち替え、今度は裏ソフトの面で、彼女ががら空きにしていたフォアサイドを狙い、鋭いドライブを打ち込んだ。
私の「異端」の真骨頂、予測不能なラバーチェンジからの攻撃。
ギュン!とボールが空気を切り裂く音が響く。
しかし、鈴木選手は、そのドライブのコースを読んでいたかのように、素早く横に移動し、ラケットを差し出す。
彼女のラケットに当たったボールは、勢いを殺され、ネットをふわりと越え、私のコートのサイドラインぎりぎりにポトリと落ちた。絶妙なカウンターブロック。
…読まれている。私の攻撃パターン、そしてラバーチェンジのタイミングも。対策をしているようだ。
静寂 0 - 1 鈴木
序盤から、一進一退の、息詰まるような攻防が始まった。私の「異端」な変化は、確かに相手を戸惑わせている。
しかし、彼女の安定したカットと、的確な対応力は、それを上回るかのように、私の攻撃をことごとく拾い上げてくる。
体育館の喧騒の中で、私の思考は、かつてないほどクリアに、そして冷徹に、目の前の「カットマン」という難解なパズルを分析し始めていた。




