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異端の白球使い  作者: R.D
第二期 引き継がれる異端

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大人のルール

 俺は、職員室の窓から、夕暮れのグラウンドを、眺めていた。


 サッカー部員たちの、活気のある声が、ここまで聞こえてくる。


 平和な日常。


 しかし、俺の心は、鉛のように重かった。


 ポケットの、中で、スマートフォンが、震える。


 静寂の祖父母からの着信だ。彼女の容態に、変化はない、という定時連絡。


 俺はそれに、当たり障りのない返事をし、そして、電話を切った。


 その行為一つ一つが、まるで、嘘に加担しているようで、胸が、締め付けられる。


 脳裏に蘇るのは、あの日の光景だ。


 事件から、数時間後。


 俺が、病院の廊下で、途方に暮れていた時、教頭先生から、電話がかかってきた。


「今すぐ学校に戻ってきてください。緊急の、会議です」と。


 校長室の、重い扉を開ける。


 そこにいたのは、校長と教頭、そして、生徒指導の田中先生。


 部屋の空気は、氷のように冷え切っていた。


 校長は、俺が椅子に、座るのを待って、静かに、そして、有無を言わせぬ口調で、言ったのだ。


「佐藤先生。先ほどの件だがね。あれは、『事故』だ。いいね?」


 俺は、耳を疑った。


「…事故、ですか?しかし校長、あれは明らかに…」


「事故だ」


 校長の言葉が、俺の言葉を、遮る。


「教室の片付けの最中に起きた、不幸な事故。生徒間の、トラブルなど存在しない。これが、学校としての、公式見解となる」


 そして、彼は続けた。その言葉に、俺は戦慄した。


「そして同時にだ。冬休み中の、卓球部の、全国大会での快挙。これは、本校の誇りだ。来週の朝礼で、改めて、全校生徒の前で表彰する。地域の広報誌にも、大きく取り上げてもらうよう、すでに手配済みだ」


 頭が、混乱する。


 栄光と、不祥事。


 そのあまりにも矛盾した、二つの、現実を、この男は、同時に利用しようとしている。


 俺は、食い下がった。


「ですが、それでは、話が合いません!加害者の、生徒は、どうなるんですか!被害者の、静寂は…!」


 その瞬間、校長の、その温和な仮面が、剥がれ落ちた。


 その瞳に宿っていたのは、氷のように冷たい、軽蔑の色だった。


「佐藤先生。君はまだ、分かっていないようだね」


「これは、『戒厳令』だ。この件に関して、教職員は、一切の、私的な言動を禁ずる。生徒への、個別での事情聴取も禁止だ。全て、我々管理職が、責任を持って処理する。君はただ、我々の指示に従っていれば、いい」


 そして彼は、最後の一撃を放った。


 その声は、再び、優しい校長先生の、それに戻っていた。


 だからこそ、それは、何よりも恐ろしい、脅迫として、俺の耳に、届いた。


「君にも、可愛い奥さんと、お子さんたちがいるんだろう?私も、教師として、そして、一人の人間として、君の家族の未来が、不幸なものになるのは、見たくないんだよ。…分かるね?」


 その、言葉。


 俺はもう、何も言えなかった。


 そうだ。俺は、一人ではない。


 俺の背後には、俺を信じ、頼ってくれている、家族がいる。


 俺の、たった一つの正義感で、その家族を、路頭に迷わせる覚悟が、俺にあるのか。


 ない。


 俺には、ないのだ。


 俺はただ、唇を噛み締め、そして、深く深く、頭を下げることしか、できなかった。


 自分の、流儀ではない。


 教育者として、あるまじき、行為だ。


 分かっている。


 分かっているが、俺は、この、巨大な嘘に、加担するしか、道はなかった。


 窓の外は、もうすっかり、暗くなっていた。


 俺は、重い足取りで、学校を後にする。


 この罪悪感を、俺はこれから、ずっと背負って、生きていくしかないのだろうか。


 その答えの出ない問いだけが、俺の心を、支配していた。

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