茜色に燃える空
あれから、三ヶ月。
私は、一度も、しおりちゃんのお見舞いには行けなかった。
行けなかった、というより、行かなかった。
病室のドアを開けて、眠り続ける彼女の姿を見てしまったら。
あの日起きた、全てのことが、もう二度と、元には戻らない、冷たい「現実」なのだと、認めなければならなくなるから。
それが怖くて、私はずっと、逃げ続けてきた。
部のマネージャーの仕事も、どこか他人事だった。
未来さんが一人で、全てを背負っているのを見ながらも、私はただ、無力感に苛まれるだけ。
私の太陽は、もうとっくに、沈んでしまったのだと、そう思い込んでいた。
でも、昨日の夜。
眠れないまま、ベッドの中で、昔のアルバムを、開いてしまった。
そこにいたのは、まだ、中学一年の、夏の、私たち。
大会でしおりちゃんが、初めて勝ったのを見て、私が大泣きした時、私を、しおりちゃんが、不器用な笑顔で、慰めてくれている、写真。
あの時、彼女は言ったのだ。
「…大丈夫です、あかねさん。あなたの笑顔は、太陽みたいだから。あなたが笑っていれば、私たちは、きっと、まだ強くなれる」と。
その、言葉。
その、温かい記憶が、私の凍てついた心に、小さな火を、灯した。
そうだ。私は、逃げてちゃダメだ。
私が、彼女の太陽で、いなくちゃ。
そして今私は、あの、白い病室の、ドアの前に立っている。
震える手で、ドアノブを握り、そして、意を決して、中へと入った。
部屋の中は、静かだった。
窓際には、全国大会の、優勝トロフィーのレプリカと、金メダルが、誇らしげに飾られている。
壁際には、彼女のラケットケースが、立てかけてあった。
そして、ベッドの中央で、しおりちゃんは静かに、眠っていた。
血の気のない、白い顔。閉じられた瞳。
ああ、やっぱり、これは現実なんだ。
涙が、溢れそうになるのを、必死で堪える。
私は、彼女のベッドの、傍らに座った。
そして、彼女からもらった、勇気を振り絞って、その頬にかかった、一房の黒髪を、そっと、指で、払ってあげた。
大丈夫だよ、しおりちゃん。
大丈夫。私がずっと、ここで待ってるから。
だから安心して、今はゆっくり、おやすみ。
心の中で、そう語りかけた、その瞬間だった。
髪を払った、その、指先は、触れてしまった。
彼女のその、美しい首筋に刻まれた、無数の、細く、そして、不自然な凹凸に。
私の、思考が、止まる。
…なに、これ…?
私は、吸い寄せられるように、彼女の首元を、覗き込む。
そこには。
病衣の襟元に、隠れるようにして、カッターナイフか、何かで切りつけられたような傷跡が、生々しく残っていた。
それは、私が以前見た記憶には、決してなかった傷。
私の意識が、急速に覚醒していく。
これまでの、全ての靄が、一瞬で晴れていく。
(…おかしい)
(事故で、こんな傷ができるわけが、ない)
(転んだだけ?違う。じゃああの時、あの空き教室で、本当は何が…?)
私の頭の中で、事件のピースが、組み変わり始める。
そしてそこに、一つの可能性が、浮かび上がる。
これは、「事件」だ。
その結論にたどり着いた、瞬間。
私の心の中から、恐怖も悲しみも、すうっと、消えていった。
後に残ったのは、ただ一つ。
氷のように冷たく、そして、どこまでも静かな、一つの感情。
「怒り」
私は、もう一度眠り続ける、しおりちゃんの顔を見た。
そして、心に誓った。
見ていて、しおりちゃん。
私が、必ず明らかにするから。
あなたを、こんな目に遭わせた、犯人を。
そしてその、真実を隠している、全てを。
あなたが起きた頃には、もう、何も心配しなくていいように。
あなたを脅かす、全ての危険を排除して、あなたが、心から笑える、安全な環境を、私が必ず、用意しておくから。
私の瞳に、再び光が宿る。
しかしそれは、かつての、ただ明るいだけの、太陽の光ではなかった。
全ての嘘と闇を、焼き尽くす、業火の、太陽の光だった。




