絆の残滓
店長さんに、深く一礼し、私は、その、あまりにも重いラケットを、抱きしめるようにして、店を後にした。
夕暮れの街を歩き、そして、いつもの電車に乗り込む。
ガタン、ゴトン
その揺れが、心地よいはずもなかった。
私の胸の中には、静かで、しかし、どこまでも熱い、決意の炎が、燃え盛っていたからだ。
やがて電車は、私の最寄りの駅に着く。
そこから、タクシーで数分。
辿り着いたのは、この街でも、一際大きな、門構えの家。
私の、家だ。
高い塀に囲まれた、その豪邸は、まるで、外界から、完全に隔絶された、要塞のようだった。
「おかえりなさいませ、未来お嬢様」
玄関で、私を出迎えてくれたのは、家政婦の、鈴木さんだ。
「ただいま、戻りました」
私は、静かに一礼し、そして、長い長い、廊下を歩き、ダイニングへと向かう。
ダイニングテーブルには、既に、両親が座っていた。
大学教授である、父と母。
彼らは、いつも静かに、本を読んでいるか、あるいは、論文の話をしているか、だ。
「…おかえり、未来」
「ただいま、お父様、お母様」
夜ご飯は、いつも完璧に、栄養バランスが、計算された、食事が並ぶ。
だがそこに、温かい会話は、ない。
ただ静寂だけが、支配する空間。
私は、黙々と、食事を終え、そして、自室へと戻る。
自室のドアを開けると、そこには、天井まで、びっしりと本が詰まった、書斎のような空間が、広がっている。
私は、その一角にある、大きな机に、ラケットケースを置いた。
そしてシャワーを浴び、宿題を終え、そして、キングサイズのベットに入る。
(…これが、私の、世界)
完璧に管理され、そして、何一つ、不自由のない世界。
だがそこには、しおりさんたちが持っている、あの、温かい光は、どこにもない。
私は、目を閉じ、この現実の辛さを、振り返る。
しおりさんのこと。
コーチの、裏切り。
そして、学校という、組織の無力さ。
真実は、いとも簡単に、握り潰される。
その理不尽さが、私の胸を、締め付ける。
(…守るだけでは、ダメだ)
(私が、戦わなければ)
私は、布団から、そっと手を伸ばし、机の上に置いた、あの新しいラケットを、手に取った。
そのグリップを、強く強く、握りしめる。
(しおりさん。あなたの、その、痛み、そして覚悟も。全て私が、受け継ぎます)
(だから、安心して、眠っていてください)
(あなたが目覚めたその日に、世界が少しでも、優しい、場所であるように)
その決意を胸に、私は静かに目を、閉じた。
この広大な豪邸の中で、私はずっと、孤独だった。
だが、今は違う。
私の手の中には、確かに、彼女との絆が、あるのだから。
私の本当の戦いは、今、この瞬間から、始まる。
一人静かな部屋の中で、私はその決意を、新たにするのだった。




