白い天井
今日の部活も、終わった。
新入部員たちの、活気のある、しかしどこか空虚な声が、体育館の高い天井に、吸い込まれていく。
私は、一人一人に声をかけ、後片付けの指示を出し、そして最後に、体育館の電気を消す。
それが、部長である私の仕事だ。
体育館の、重い扉を閉める。
カチャンという、無機質な施錠の音が、やけに大きく響いた。
私はそのまま、家路にはつかない。
校門を出て、駅とは逆の方向へと、歩き出す。
これが私の、新しい「日課」
数ヶ月続けている、私の、たった一つの儀式。
しおりさんの、お見舞い。
病院への道のりは、もうすっかり、覚えてしまった。
角を、三つ曲がり、坂道を一つ上る。
道すがら、私の思考は、あの日の、出来事を再生し始める。
彼女は、眠っている。
ただ静かに、眠っているだけだ。
規則正しく上下する、胸のかすかな動き。
ピッ、ピッ、と、彼女の生命活動を、無機質に表示し続ける、モニターの電子音。
消毒液と、清潔な、シーツの匂い。
そして、あの雪のように白い肌と、対照的な、美しい黒髪。
まるで、ガラスケースの中に飾られた、眠れるお姫様のようだ。
しかし、その首筋に残る、うっすらとした、赤黒い、傷の跡が、これが、おとぎ話ではないことを、私に突きつける。
なぜ、彼女は、ここにいるのか。
私は、知っている。
私は、見てしまったから。
青木れいかさんの、その歪んだ、正義感。
彼女のポケットから、取り出されたカッターナイフの、冷たい、銀色の、光。
私は、しおりさんに、託された、最後の「指示」を果たせなかった。
私が先生を連れて、あの教室に戻った時、全ては終わっていた。
そして、あの「事件」は、いとも簡単に「事故」になった。
事件の数日後。
私は、校長室に呼ばれた。
そこにいたのは、校長先生と、教頭先生、そして、生徒指導の田中先生。
彼らは、優しい笑顔で、私に言った。
「幽基さん、君はショックで、混乱しているんだね」と。
「あれは、教室の片付けの最中に、二人がふざけあっていて、起きてしまった、不幸な事故だった。そうだよね?」と。
私の「見ました」という言葉は、彼らのその、分厚く、そして柔らかい「大人の論理」の壁の前で、何の意味も、なさなかった。
「これ以上学校の、そして何より、静寂さんの、名誉を、傷つけるような、ことは、言わないように」
それは、優しいお願いの形を取った、有無を言わせない、命令だった。
青木れいかさんも、その取り巻きたちも、何の処分も受けていない。
彼女たちは、今も普通に、学校に通っている。
これが、この世界のルール。
真実は、時に、いとも簡単に、握り潰される。
なんて不合理で、残酷なルールなのだろう。
私は、病院の入り口で、足を止める。
深く、息を吸い込む。
これから私は、眠り続ける彼女に、今日の報告をするのだ。
部の様子。新入部員のこと。そして今、私が何を考え、何をしようとしているのか。
彼女に聞こえているかどうかは、分からない。
でも、私は、語りかける。
約束だから。
私が、あなたに代わって、この理不尽な世界を「観測」し、記録し、そして戦う、と。
あなたが、いつか、この長い眠りから覚めた、その日に、全ての真実を伝えるために。
私は自動ドアを抜け、彼女のいる、あの、白い部屋へと続く廊下を、歩き始めた。
私の孤独な、しかし、決して諦めることのない、戦いは、今日もまた、始まるのだ。




