遠い現実
私の、本当の戦いは、まだ終わらない。
この全国制覇すらも、私にとってはただの通過点に、過ぎないのだから。
ベンチで、未来さんと短い会話を交わした後、私たちは、観客席で待つ、仲間たちの元へと向かった。
私が、階段を登ると、あおと先生、そして、意外にも準決勝で対戦した、小笠原さんが、満面の笑みで私を、出迎えてくれた。
「しおりっ!おめでとう!本当に、おめでとう!」
あおがそう言って、私に飛びついてくる。そのくっつき虫のような祝福を、私は静かに受け止めた。
「静寂!よくやったな!本当に、大したもんだ!」
先生も、心底嬉しそうに、私の肩を叩いてくれる。
小笠原さんも「おめでとう、静寂さん。見事な、試合だった」と、その清々しい笑顔で、私を称えてくれた。
私はその、温かい祝福の言葉のシャワーを浴びながらも、どこか他人事のように感じていた。
優勝。
全国制覇。
その事実は、理解している。
だが、私の心は、不思議なほど静かだった。
私は、部長の試合が、行われているであろうコートへと、視線を向けた。
彼もまた、決勝戦の真っ最中のはずだ。
だが、その光景を見ていても、私の心には、何の感情も、浮かんでこない。
現実感が、なかった。
まるで、分厚いガラスを、一枚隔てて、遠い世界の出来事を、見ているかのようだ。
(…なぜだろう)
私の思考が、その原因を分析しようと、試みる。
(勝利という目的は、達成された。だが、「喜び」の数値が、異常に低い。これはなぜだ…?)
そして、私は気づいてしまう。
私の心が、今ここにはない、ということに。
私の思考はブロック大会の準決勝の、あのコートに、そして、あおと戦ったあのコートに、戻っていた。
青木桜との、あの死闘。
私の全てを懸けて、ようやく掴み取った、あの勝利。
あおとの、あの、過去との対話。
私の心の氷を溶かした、あの温かい涙。
あの、試合の高揚感。
あの、魂が震えるほどの、感覚。
それに比べれば、この決勝戦は…。
「………」
私は、ほとんど無意識に、呟いていた。
「…あの、試合の方が、ずっと、楽しかったな…」
その、あまりにも小さな呟き。
だがそれは、私の隣にいたあおと、小笠原さんの耳に、確かに届いていた。
二人が同時に、私を見る。
その瞳には、興味の色が、浮かんでいた。
「え?しおり、今、何か言った?」
「静寂さん。あの試合、とは…?」
二人の、その問いかけ。
それが、私のこの、全国大会の本当の意味を、問い直す、新しい「対話」の始まりとなるとは、私はまだ、知らなかった。