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異端の白球使い  作者: R.D
全国大会
488/674

小笠原 凛月 (2)

 小笠原 0 - 1 静寂


 私は、呆然と立ち尽くしていた。

 ネットの向こう側で、静寂は、相変わらず無表情のまま、こちらを見ている。この静かな瞳の奥で、彼女が静かに笑っているような、気がした。


(…面白い。私の新しい「対話」に、あなたはどう答えてくれますか?)と。


 私の全身に、悪寒が走る。

 この女は、魔女だ。


 私の常識も、理論も、全てが通用しない、本物の魔女なのだと。


 私の本当の死闘は、今まさに、始まったばかりだった。


 サーブ権はまだ私にある。二本目。

 私は一度、深く息を吸い込み、思考をクリアにする。


(…落ち着け、私。今の現象はありえない。アンチラバーは、回転を殺すもの。回転が、そのまま返ってくるなど、物理的に不可能なはずだ。何か見落としている。何か、私がまだ知らない、仕掛けがある)


 私は、今度はサーブの回転を、変えた。

 横回転ではなく、純粋な下回転。コースも彼女のバックサイド深くへと、コントロールする。

 ラリーに持ち込み、もう一度、あの不可解な現象を、観測する。


 彼女は、そのサーブに対し、またしても、あの黒いアンチラバーの面を見せつけ、そして、氷の上を滑らせるかのように、ラケットをスライドさせた。


 ボールは、私のコートへと返ってくる。

 その軌道は、やはりおかしい。


 下回転が死んでいる。ナックルだ。だが、それだけではない。ボールが、不規則に、微かに揺れている。

 私は、そのボールに対し、ドライブで応戦する。


 だが、私のラケットに当たった瞬間。

 ボールは、私の予測とは、全く違う方向へと、力なく弾かれた。

 ネットに、かかる。


 小笠原 0 - 2 静寂


「………っ」

 私は、歯を、食いしばる。

 分からない。

 何が、起きているのか、全く分からない。

 私の、長年の経験とデータが、目の前の、この少女の前では、全く意味をなさない。


 サーブ権が、彼女に移る。

 彼女は、大きなテイクバックから、サーブを放ってきた。

 私はもう、モーションには惑わされない。ボールそのものに集中する。


 だが、彼女が繰り出すサーブは、そのどれもが、私の思考の範疇を、超えていた。

 下回転、ナックル、ロング、ショート。

 そして、その全てが、同じフォームから放たれる。

 私はただ、その幻惑のサーブに翻弄され、そして、ポイントを失い続けた。


 小笠原 2 - 7 静寂


(…ダメだ。このままでは、一方的に、殺される…!)


 私は、思考を切り替える。

 もう彼女の変化を、読むのはやめた。

 そんなものは、無意味だ。


 私がすべきことは、ただ一つ。

 私の卓球を、信じること。

 私の戦い方を、貫き通すこと。


 私は、彼女のサーブに対し、レシーブで、無理やりにでも、ラリーへと持ち込んだ。


 甘いボールでは、弾かれて、私のオープンスペースに弾かれて終わりだ。


 そして、なんとかそこから、私の得意なドライブの、応酬へと引きずり込む。

 一球一球、私の全ての力を込めて、ボールを叩きつける。


 彼女はそれを、時に裏ソフトで受け止め、時にアンチラバーで、いなしてくる。


 そのラリーの中で、私は必死に、彼女のラケットの動きを、観察した。

 そして、気づいたのだ。


(…持ち替えている…!)


 ラリーの中で、彼女は、相手には認識できないほどの速さと、悟らせないほどの自然さで、ラケットを反転させている。


 フォアに来たボールをアンチでブロックし、バックに来たボールを、裏ソフトでドライブする。

 その逆も、また然り。

 彼女はその二つの、全く異なる、性質のラバーを、まるで、自分の手足のように、自在に操っているのだ。


(…これか。これこそが「予測不能の魔女」の、正体…!)


 だが、タネが分かっても、対応できるものではない。

 その、あまりにも高速な持ち替えと、そして、そこから生まれる、無限のコンビネーション。


 私の思考は、常に彼女の後手に回ってしまう。

 それでも、私は食らいついた。

 一点、また一点と、必死に奪い返す。

 私の意地とプライド、その全てを懸けて。


 小笠原 7 - 10 静寂


 セットポイント、静寂。

 だが、私の心は、まだ折れてはいない。

 むしろ、燃え上がっていた。

 この、難解なパズルを、解いてみたいと。

 この、魔女の化けの皮を、剥がしてみたいと。


 第一セット、最後のラリー。

 それは、このセットで、最も長く、そして、最も濃密なものだった。

 私が、ドライブを打てば、彼女はアンチで殺す。

 私が、ストップで揺さぶれば、彼女はチキータで、カウンターを狙う。

 思考と技術の、全てが交錯する。


 そして、その、長い長い、ラリーの果て。

 彼女が放った、一球。

 それは、私が全く予測していなかった、彼女の「魔術」だった。

 ドライブのモーションから放たれる、しかし、一切の回転を持たない、ナックルドライブ。

 私の体が、反応できない。

 ラケットは虚しく、空を切った。


 小笠原 7 - 11 静寂


 第一セットは終わった。

 私は、負けた。

 だが、その表情には、悔しさよりも、むしろ興奮と、そして、次なる戦いへの、闘志が燃え盛っていた。


(…静寂しおり。面白い)

(あなたのその魔術。次のセットで、必ず見破ってみせる)


 私は、不敵に笑った。

 この試合は、まだ始まったばかりなのだから。

 私の、本当の死闘は、ここから始まる。

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