ドミナント戦略
私は、再び歩き始めた。
先生は、何も言わずに、私の、半歩後ろを、ついてきてくれている。
その、無言の優しさが、心地よかった。
やがて、私たちは、体育館の外へと出た。
冬の冷たい空気が、火照った私の、頬を撫でる。
私たちは、一番近くのコンビニへと向かう。
だが、そのコンビニの数メートル手前で、私は、足を止めた。
「…先生」
「ん?どうした、静寂」
「あれは、どういうことでしょうか?」
私が、指差した先。
そこには、同じチェーンのコンビニが、二軒、通りの向かい側に、並んで建っていたのだ。
同じ看板、同じロゴ。
それは、あまりにも奇妙で、そして、非合理的な光景に見えた。
「なぜ、同じ店が、これほど近距離に、二つも存在するのですか?これでは、互いに顧客を奪い合い、利益が減少するだけでは?」
私のその、素朴な疑問に、先生は少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに、面白そうに笑った。
「…はっはっは。静寂らしい目の付け所だな。いいか、静寂。あれはな『ドミナント戦略』って、言うんだ」
「ドミナント、戦略…?」
「そうだ。特定の地域に、集中的に店を出すことで、ライバルとなる他の店が入ってくる隙間をなくしてしまう。そして、そのエリアの市場占有率、つまりは、ここ周辺の買い手を、全部根こそぎ貰おう、という非常に効率的で、そして攻撃的な戦略なんだよ」
だが先生は、そこで一度言葉を切り、そして、少しだけ寂しそうな目で、その二つのコンビニを、見つめた。
「…だがな静寂。この戦略は、時に、少し残酷なやり方でもあるんだ」
「残酷、ですか?」
「ああ。コンビニってのはな、本社の直営店だけじゃない。個人が、本社と契約して、フランチャイズオーナー、つまり看板を借りて経営している店も、たくさんあるんだ。自分の人生を懸けて、店をやっている人たちもいる」
「だが本社は、そんなオーナーの店のらすぐ隣にでも、平気で新しい直営店を建てちまう。見境なく出店するんだ。そうなったら、どうなるか分かるか?」
(…分かる。共倒れだ)
…そして、財力のある本社だけが生き残る
「本社の利益のために、個人の店が潰されていく。効率と勝利を追求する、その影には、いつだって誰かの涙がある。…卓球も、そして人生も、同じなのかもしれないな」
先生の、その言葉。
その、倫理的な、問題点。
それは私の心の奥底に、静かに、しかし、確かに突き刺さった。
(…私の、卓球)
(私の勝利は、誰かの涙の上に、成り立っている…?)
(…みらいさんも、青木選手も、そして、あおも…)
その答えの、出ない問い。
それは、私の思考に、新しい、そして、非常に厄介なバグを、生み出したようだった。
私はただ、黙って煌々と輝く、二つのコンビニの光を、見つめていた。
その光が、なぜか少しだけ、悲しい色に見えた。