VSパワー(3)
サーブ権は、私。
スコアは、8-8。
体育館の、全ての音が消え去り、私の世界には、ただ、目の前に立つ山下選手と、そしてこの、白いボールだけが、存在していた。
(…楽しい)
私の思考は、この極限の状況下で、しかし、明確に、その新しい感情を、観測していた。
この強敵との、魂の削り合い。
その、一球一球が、私の心を、かつてないほど高揚させる。
(だが、感傷はここまでだ)
私の瞳に、再び、氷のように、冷たい光が宿る。
感情を楽しむ私と、勝利を計算する私。
私は、ラケットを高く、振りかぶった。
大きな、テイクバックのモーション。
そこから私が放ったのは、私の持てる、全ての「技術」と「思考」そして、「感情」を乗せた、一球。
天高くに、白球を上げ、インパクトへのモーションへ移行する途中、私はラケットを自然に反転させ、そして、ボールの軌道と回転を、完全に殺した。
ナックル性の、低い軌道を描くサーブ。
私の技術の結集とミスディレクションが見せる、究極の私の決め球。
山下選手は、そのあまりにも、複雑な、情報量の前に、完全に、思考を停止した。
彼女のレシーブは、甘く浮き上がる。
私はその、3球目を見逃さない。
冷静に、そして無慈悲に、コートのオープンスペースへと叩き込んだ。
静寂 9 - 8 山下
私の、二本目のサーブ。
私は、もう迷わない。
同じモーションから、今度は、強烈な下回転をかけた、ロングサーブを、彼女のバックサイド深くへと、突き刺す。
山下選手は、それにドライブで、応戦してくる。
彼女の得意なパワーでドライブを放ってくる、私は彼女のようにパワーはない、その足りない力を補う様に、鋭く攻めた
長い、長い、ラリーの、果て。
彼女の、ドライブが、ネットに、かかった。
静寂 10 - 8 山下
セットポイントが、私の手に落ちる。
山下選手のサーブ、追い詰められた彼女が放ったのは、渾身の、ロングサーブだった。
彼女は、パワーを活かせる、得意な土俵で勝負を掛ける
(…受けて立つ、私の技術と、どっちが上か、勝負だ)
そのボールに対し、私は台から下がり、カットで応戦する。
彼女のドライブを、私がカットで返す。
その応酬の中で、私は、確かに感じていた。
彼女の、ボールに込められた「悔しさ」と、そして、私への「敬意」を。
そして、ラリーが10本を超えた、その時。
彼女のドライブが、ほんのわずかに、甘くなった。
私は、その最後のボールに対し、ラケットを赤い裏ソフトの面で、合わせる。
そして、放ったのは強打ではない。
ただ優しく、そして静かに、相手のコートへと、ボールに、横回転を添えて、ストップを返す。
ボールは、ネットの白線の上をするりと越え、そして、彼女のコートの、その手前に、ぽとり、と落ちた。
彼女はその、横に逸れていくボールに、反応することができなかった。
静寂 11 - 8 山下
第一セット終了。
ベンチへと、戻る。
未来さんの、温かい笑顔と、科学者の様な目があった。
そうだ。
私の、戦いは、まだ、始まったばかりだ。