東京(2)
私たちは、希望と、そして、ほんの少しの緊張を胸に、東京という、巨大な迷宮の中へと足を踏み出した。
「よしみんな!私についてこい!」
そんな私たちを引率する顧問の先生が、自信満々にそう言って、大きなキャリーケースを、引きながら歩き始めた。
その背中は、いつになく頼もしい。
私たちは、先生の後に、続く。
駅の構内は、まるで迷路のようだ。
右へ左へ、と、先生は、淀みない足取りで進んでいく。
だが。
「…先生」
それまで、黙って後をついてきていた、未来さんが、静かに、口を開いた。
「ん?どうした、幽基さん」
「この景色。先ほども、一度観測した記憶があります。ここ、さっき来ました」
未来さんのその、あまりにも冷静な指摘。
その言葉に、先生の足が、ぴたりと止まった。
そして、その額には、じわりと冷や汗が、浮かんでいる。
「…そ、そうか?気のせいじゃ、ないか?」
「いえ。あの赤い看板の、店の前を通過するのは、これで三度目です」
先生は、明らかに、道に迷っていた。
その事実に、部長とあかねさんが、笑いを、堪えている。
あおは、私の袖を、ぎゅっと握りしめ、不安そうな顔で、私を見上げている。
「…まあ仕方ない。東京の、駅は複雑怪奇だからな!」
先生はそう言って、開き直ったように笑った。
「よしこうなったら、文明の利器に頼るしかない!」
彼はそう言って、スマートフォンを取り出し、地図アプリを、起動させる。
私たちは、その小さな画面を、全員で覗き込むようにして、ようやく正しい出口へと、たどり着くことができた。
駅の外へ出ても、その混乱は、続いた。
どこを、見ても、人、人、人。
そして、空を突き刺すような、高いビル。
その圧倒的な情報量に、私の思考も、少しだけ、オーバーヒート気味だった。
私たちは、そんな東京の洗礼を、受けながらも、なんとかかんとか、予約していたホテルへと、たどり着いた。
チェックインを済ませ、それぞれの部屋の鍵を、受け取る。
部屋は三部屋。部屋分けは、男子が、部長と顧問の先生。
そして、女子が、未来さんとあかねさん。最後に、あおと私、という組み合わせになった。
あおが、私と同じ部屋を取れたことを、心底嬉しそうにしているのが、見て取れた。
部屋に向かう前に、顧問の先生が、私たちを集めて、言った。
その表情は、いつになく真剣だ。
「いいかみんな。ここは、俺たちの地元とは違う。何か必要なものを買う時は、必ず私が、同行するから、絶対に、勝手に、外には、出ないよう。いいな」
その言葉に、私たちは皆、こくりと頷いた。
それぞれの部屋に荷物を置き、そして私たちは、まずお風呂へと、向かうことにした。
長旅の疲れを、癒すためだ。
ホテルの、大浴場。
その扉を、開けた瞬間。
私たちは、息をのんだ。
「う、うわあああ…!ひ、広い…!」
あかねさんが、驚きの、声を、上げる。
そこには、私たちが普段目にしている、銭湯とは、比べ物にならないほどの、大きなお風呂が、広がっていた。
私たちがたまにいく銭湯も、有名な温泉らしいが、それとは全く違う
いくつもの種類の湯船。大きな窓から、見える夜景。
まるで、高級な、温泉旅館にでも、来たかのようだ。
「…すごいですね。これが、東京…。私たちが住んでる所とは、スケールの違う物が、作られている…」
未来さんも、感心したように、呟いている。
私もまた、その圧倒的な物量とスケール感に、驚いていた。
私の思考が、この空間のデータを処理しきれずに、短いフリーズを、起こす。
「見て、しおり!あっちに、露天風呂もあるよ!行こ行こ!」
あおが、子供のようにはしゃぎながら、私の手を引く。
その、温かい感触。
そして、隣で楽しそうに笑う、仲間たちの、声。
(…なるほど。これもまた、一つの、データだ)
私は、心の中で、そう呟いた。
東京という、巨大な、迷宮。
それは、私にとって、ただの脅威では、ない。
私の知らない、たくさんの「温かいノイズ」と「新しい発見」で、満ちている、未知のフィールド。
私の新しい冒険は、どうやら、この大きなお風呂から始まるようだった。