異端者と県大会
バスの揺れが、私の思考を現実へと引き戻す。
窓の外には、見慣れない景色が流れ、やがて目的地の巨大な体育館が見えてきた。県大会の会場だ。
バスを降りると、むっとするような熱気と、大勢の人々のざわめきが、私を包み込んだ。
…これが、県大会の空気か。市町村大会とは、規模も、そして選手のレベルも比較にならなそうだ。
体育館の入り口には、様々な中学校のユニフォームに身を包んだ選手たちが、緊張と期待の入り混じった表情で集まっている。
その中には、あかねさんが集めてくれた資料で見た、強豪校のエンブレムも散見された。
彼ら一人ひとりが、それぞれの思いを胸に、この舞台に立っているのだ。
「おーい、静寂!こっちだ、こっち!」
大きな声に呼ばれ振り返ると、そこには既に到着していた部長と、あかねさんの姿があった。
部長は、いつものように自信に満ち溢れた表情で、しかしその瞳の奥には、普段以上の鋭い光が宿っている。
三島さんは、少し緊張した面持ちで、しかし私を見つけると、ほっとしたように微笑んだ。
「しおりさん、おはようございます!いよいよだね、県大会!」
「…おはようございます、あかねさん。部長も」
私は、いつも通りの落ち着いたトーンで挨拶を返す。
しかし、私の内面では、この会場の熱気と、これから始まるであろう未知の戦いへの静かな高揚感が、確実に脈打っていた。
受付を済ませ、割り当てられた選手控え場所へと向かう。
体育館の中は、ボールが床を叩く音、選手たちの掛け声、そして観客席からの応援の声が反響し、一種独特の喧騒を生み出している。
私の「静寂な世界」とは対極にある、しかし、どこか心地よい緊張感を伴う空間。
ウォーミングアップのため、空いている卓球台を見つけ、ラケットを取り出す。
スーパーアンチと裏ソフト、私の「異端」の武器たち。
昨夜、入念に手入れしたラケットの感触が、指先にしっくりと馴染む。
…まずは、目の前の一戦一戦を、確実に勝利する。そして、データを収集し、私の卓球をさらに最適化する。
私は、軽く素振りをしながら、今日の初戦の相手について、あかねさんがまとめてくれた資料の内容を反芻する。
相手は、地区予選を2位で通過してきた選手。
プレースタイルはオーソドックスな右シェークドライブ型。
特筆すべき弱点は見当たらないが、逆に言えば、突出した武器もない。
私の「異端」な戦術が、初見の相手にどこまで通用するかを試すには、格好の相手と言えるかもしれない。
「静寂、調子はどうだ?」
部長が、自分のウォーミングアップを終えたのか、私の隣に来て声をかけてきた。
「…問題ありません。体は、昨夜の練習の疲労もほぼ回復しています。思考もクリアです」
「そうか。ならいい。だが、油断はするなよ。県大会の初戦ってのは、誰だって緊張するもんだ。自分の卓球を、落ち着いてやるんだぞ」
彼の言葉は、いつものような熱血調ではなく、どこか先輩としての気遣いが感じられるものだった。
「…はい」
私は、短く頷く。
「しおりさん、これ、試合前に!」
あかねさんが、スポーツドリンクと、個包装されたエネルギーバーのようなものを差し出してきた。
「ありがとうございます、あかねさん」
「頑張ってくださいね! 私、ずっと応援してますから!」
彼女の屈託のない笑顔は、この殺伐としがちな戦いの場で、不思議と私の心を落ち着かせる効果があった。
やがて、館内アナウンスが、女子シングルス一回戦の開始を告げる。私の名前が呼ばれた。
「静寂しおりさん、第5コートへお越しください」
…始まる。
私は、ラケットを握りしめ、静かに立ち上がった。
部長とあかねさんの視線を感じながら、私は、ゆっくりと、しかし確かな足取りで、第5コートへと向かう。
私の「異端の白球」が、今、この県大会という新たな舞台で、その真価を問われようとしていた。
そして、私の心の奥底に潜む、あの名状しがたい「影」もまた、この戦いの中で、どのような形で姿を現すのだろうか。
答えは、まだ、誰も知らない。




