お泊まり会 Side しおり
隣で眠っているはずの、葵の静かな寝息。
その音を、聞いているだけで、私の心は温かく、そして、幸せに満たされていく。
今日の私は、なにか変だ、妙にあおを乱す様な発言をしたり、着ているのを見てみたいというあおの声に答えたり、この服を買ったときも、こんな感覚だった。
まるで、私が構築した、氷のような壁が溶け出しているような、そんな感覚
(…けど、悪い気分はしない)
私の思考が、この解析不能な、幸福のデータを、どう処理すればいいのか分からずに、フリーズしている。
「……起きてる?あお」
私の、口から、ほとんど、無意識に、その、言葉が、こぼれ落ちた。
「…眠れるわけ、ないよ。」
彼女が、少しだけ、むくれたように答える。
「しおりが、こんな可愛い格好してるのに」
その、あまりにも真っ直ぐな、言葉に私の胸が、ほんの少し、キリと、音を立てる。
私は、そんな胸の内を気にすることなく、昔の記憶の、扉を開いた。
「…ねえ、あお。覚えてる?あの、七夕の夜」
「…!うん。もちろん、覚えてるよ」
「あの時のお祭りで、りんご飴を一緒に食べたり、たこ焼きを半分こしたり、楽しかったね」
私の声は、自分でも、驚くほど穏やかで、そして懐かしい響きを、持っていた。
そうだ。あの時、私は、確かに「楽しい」という、感情を、知っていたのだ。
「…うん。忘れられるわけ、ないよ。」
彼女の声が、少しだけ震えている。
「…あの日が、最初で最後の、私の初恋の日だったんだから」
初恋…?
あの日が…?
「私ね、ずっとしおりのこと、ただの親友だって思ってた。でも違ったんだ。あなたがいなくなって、初めて気づいたんだ。この気持ちが、恋や、恋愛のような、感情だってこと」
「あなたは、私を孤独から救ってくれた英雄で、そして、かけがえのない大好きな、親友で、そして、私の、初恋の人だったんだよ」
彼女のその、あまりにも、切実な告白。
私の心の、氷の壁が、ミシリ、と音を立てて、ひび割れていく。
そして、彼女は続ける。
あの日、人混みではぐれて、泣いていた彼女を、私が、見つけ出し、抱きしめた、という記憶。
私にとってはもう遠い、過去の断片。
だが、彼女にとっては、それが全てが始まった、宝物のような、瞬間だったのだ。
(…ああ、そうか)
私は、静かに呟いた。
「…あの時の、大好きな人、というのは、私のことだったんだね」
「え…!?な、なんで、それを…!」
驚く、彼女。
私は、ふふっ、と笑った。
「あなたの願い事は、覚えているから」
その言葉に、彼女が、顔を真っ赤に、させているのが、暗闇の中でも、分かった。
私は、悪戯っぽく続けた。
「…ある意味、叶いそうで、良かったね」
「そ、それは、どういう…?」
彼女が聞き返すと、私は静かに、そして、どこか遠い目で、言った。
「…だって、私が書いた願い事は『あおの願いが、叶いますように』だったから」
その私の言葉に、今度は彼女が、息をのむ番だった。
そして、彼女は、尋ねた。
「…ねえ、しおり。なんで、自分の、願い事を、書かなかったの?」
その、純粋な、問い。
それに、答えることは、私の、心の、一番、深い、場所に、触れる、ということ。
でも、今の私なら、話せるかもしれない。
この温かい、闇の中でなら。
私の分厚い、氷の壁は、右半分がそのまま溶けて、決壊しているように感じた。
「……その頃は、私には、そんな余裕、なかったからね」
私の声から、全ての感情が、消え去る。
そして私は、ぽつり、ぽつりと、語り始めたのだ。
私の、本当の過去を。
あの、地獄のような日々を。
私が、誰にも話したことのない、本当の痛みを。
その、あまりにも、壮絶な、物語。
隣で、息をのんで聞いている、葵の、その温かい手、その感触だけが、私を、この場所に、繋ぎ止めてくれていた。