お泊まり会(2)
しおりの後について、歩いていく。
商店街を抜け、住宅街を抜け、そして、いつの間にか、周りには家も街灯も、少なくなっていた。
そして、たどり着いたのは、周りに家はなく、ポツンと建っている、一軒家だった。
静かで、そしてどこか世界から、切り離されたような場所。
「ここが、私の家です」
しおりが、そう言って、鍵を開ける。
「…どうぞ」
「お、おじゃまします…!」
家の中は、綺麗に整頓されていて、そして、しおりのイメージ通り、どこまでも静かだった。
「すごいね…。ここで、一人で住んでるの?」
私が、そう尋ねると、彼女は、静かに頷いた。
その横顔に、ほんのわずかに、影が差したような気がして、私の胸が、少しだけ痛んだ。
一人、という、その言葉の響きに、少し、寂しさを感じてしまう。
「…さて、カレーを作りましょう」
彼女はそう、言って、キッチンへと向かう。
私は、その後をついていった。
しおりが、カレーを作るその姿は、まるで化学の実験でも、しているかのようだった。
ジャガイモの皮を剥く、その角度。
人参を切る、そのミリ単位の正確さ。
玉ねぎを炒める、その完璧な、火加減。
その全ての工程が、レシピ通りに、そして、寸分の狂いもなく、進められていく。
その光景を見て、なぜだか私は、安心していた。
ああ、あなたはちゃんと、ここで生きているんだ、と。
「…葵」
不意に、彼女が、私を見た。
「家に、連絡はしましたか? 今日の、あなたの行動は、ご両親の、予測の範囲外でしょうから」
「あ…!」
その言葉に、私は、完全に忘れていたことに、気づいた。
「忘れてた!」
私は慌てて、スマートフォンを取り出し、家の電話番号に掛ける。
数コールの後、お母さんの声が、聞こえた。
「もしもし?葵?今、どこにいるの?」
「あ、ごめんお母さん!今日ね、私、しおりの、おうちに、泊まることになったから!」
「ええっ!?あの、しおりちゃん!?」
電話の向こうで、お母さんが、驚きの声を、上げる。
無理もない。
「うん。色々あって、泊まることになったんだ」
「…そう。よかったじゃない、葵」
お母さんの声が、急に優しくなった。
「あんた、ずっとあの子のこと、心配してたものね。…でも、迷惑はかけないようにね」
「分かってるよー! じゃあね!」
私はそう言って、電話を切った。
そして私は、キッチンへと戻った。
カレーのいい匂いが、部屋中に広がっている。
その悠々とした気持ちで戻った、私の目に、信じられない光景が、飛び込んできた。
しおりが、鍋の中に、二つの瓶の中身を、入れようとしていたのだ。
片方は、ドクロのマークが描かれた、真っ赤なソース。
もう片方は、濃厚な、茶色のソース。
そのラベルを見て、私は絶叫した。
「しおりっ!?なんで、デスソースとチョコソースを、カレーに!?」
私は、ものすごい勢いで、慌てて彼女を、止めようとする。
だが彼女は、平然と答えた。
「? カレーという単調になりがちな、辛みや旨味に、デスソースの直接的な辛みと、チョコソースが持つ、深い甘みと苦味を加えることで、そこに、多層的な風味と刺激が生まれます」
…ほんとに?
「ほんとに!?」
私の思考は、完全にフリーズしていた。
「ええ。ただし、量の調整は、要注意ですが」
彼女はそう言って、小さじで、慎重に、そして楽しそうに、それを、鍋の中に加えていく。
やがて、彼女は調整を終え、そして私に向き直った。
「…味見、してみます?」
彼女はそう言って、小さなスプーンを、私に差し出してきた。
その、あまりにも、自然な動作。
昔、彼女がよく、私に「あーん」ってしてくれた、あの時と、全く同じ。
私の心臓が、ドキドキと、大きく音を立てる。
昔は、大好きという気持ちだけで、その意味に、気づいていなかった。でも、今の私は、違う。
彼女がいなくなって、初めて気づいた、この想い。
私は、その久しぶりの、その動作に、ドキドキしながらも、差し出されたスプーンに、口を入れた。
「………!」
美味しい。
信じられないくらい、美味しい。
最初にくる辛さ。でもそれは、すぐに、深いコクと甘みに変わり、そして最後に、フルーツのような爽やかな香りが、鼻腔を抜けていく。
本当に、まるでフルーティーな、それでいて、刺激が何重にもなっている味だった。
「…すごい…!すごいよ、しおり…!」
私がそう言って、彼女の顔を見ると、彼女は少しだけ得意げに、そして、嬉しそうに笑っていた。
「でしょう?私の計算に、間違いは、ありませんでしたから」
その笑顔を見て、私は確信した。
さすが、しおりだね、と。
あなたがどんなあなたでも、やっぱりあなたは、私の、ただ一人の、英雄だ。
私の胸の内は、カレーのスパイスと、そして彼女への愛情で、熱く、そして幸せに、ドキドキしていた。