お泊まり会
私は、心の中でガッツポーズをしながら、その幸せを、噛み締めていた。
その日の練習は、もう上の空だったかもしれない。
頭の中は、今夜、しおりのおうちで二人きり、という夢のようなイベントのことで、いっぱいだったから。
やがて、練習はお開きになり、私たちは、各自家へと帰ることになった。
私は、もちろんしおりに、引っ付き虫のようにくっついて、体育館を後にした。
外はもうすっかり暗くなっていて、冬の、冷たい空気が、心地よい。
「ねえ、しおり」
私は、彼女の腕に、自分の腕を絡ませながら、話しかける。
「昔、こうやって、二人でよく、一緒に帰ったよね。あの時も冬だったかな。寒くて、二人で一つのマフラーにくるまったりして」
「…懐かしいですね、あの時も、確か、こんな綺麗な月が浮かんでいました。」
しおりは、いつも通り平坦な声でそう答える。
でも、その横顔は、どこか楽しそうだ。
「そういえば私、しおりの家に行くの、初めてだな~」
私がそう言うと、彼女の表情が、ほんのわずかに、曇った。
「……そう、でしたね」
そして、彼女は、ぽつりと呟いた。
「…あの頃は、家がちょっと複雑でしたから。あなたを呼べるような状況では、ありませんでした」
その言葉の、奥にある、深い深い痛みを、私はもう、知っている。
だから私は、明るい声で、その空気を、断ち切るように言った。
「そっか!じゃあ、今日が記念すべき、第一回お泊まり会だね!パーティーしなきゃ!」
私のその言葉に、しおりは、少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに静かに、頷いた。
そして、彼女は言ったのだ。
「…パーティー…?、練習では?ま、まあいいでしょう。ならば夕食は、私が、作りましょう」
「え、本当に!?」
「はい。久し振りに、何か家で作ろうかなと、思っていたところですので」
「やったー!何作ってくれるの?」
「…そうですね。最も効率的に栄養を摂取でき、そして調理工程がシンプルなもの。…カレーに、しましょう」
「カレー!いいね!」
私たちは、そんな会話をしながら、駅前のスーパーへと向かった。
そして、カレーの材料を買いながら、私はすぐに、しおりの、その金銭感覚が、少し?だけ、ズレていることに気づいた。
彼女は野菜を選ぶ時も、一つ一つの形や、色、重さを吟味し、最も状態の良い、つまりは、最も値段の高いものを、躊躇なくカゴに入れていく。
そして、極め付けは、お肉のコーナーだった。
「…カレーに入れる肉。牛肉が、最も旨味成分が多いとされています。この黒毛和牛が、最適解でしょう」
彼女はそう言って、金色のシールが貼られた、見るからに高級そうな、牛肉のパックを、手に取ったのだ。
その値段を見て、私は思わず、叫んでしまった。
「ちょ、ちょっと、待ってしおり!そんな高いのじゃなくていいんじゃない!? カレーだよ!?」
「…高い?この肉のクオリティと、グラム数を考慮すれば、この価格は、妥当な範囲内だと、思いますが…」
彼女は、頭にハテナが浮かんでいるような、なにが高いのか、よく分かっていない、といった顔で、私を見つめ返してくる。
そうだ。
彼女にとってのお金の価値基準は、祖父母が、太い地主で、お金に不自由したことがない、という環境と、そして何よりも、一枚8000円もする、ラバーが基準なのだ。
数千円の牛肉など、彼女にとっては、消耗品であるラバーよりも、ずっと安いものなのだろう。
私は、その、あまりにも庶民離れした、彼女の感覚に呆れながらも、そのズレが、どうしようもなく、愛おしく感じられた。
結局その日は、彼女の言う通り、最高級の黒毛和牛カレーを作ることになった。
私の最高の冬休みは、どうやら、最高のディナーで、幕を開けることになりそうだ。