私の、英雄の話(3)
「…はっ。参ったな。本当に面白い、卓球しやがる」
後藤先輩が、膝に手をつき、悔しそうに、しかし、どこか楽しそうに笑った。
その言葉に、コートの中の、しおりの口元が、ほんのわずかに緩んだのを、私は見逃さなかった。
その一瞬見せた表情は、私が知っている「魔女」ではなかった。
二人のその、あまりにもハイレベルな「対話」が終わり、体育館には再び、他の利用者の、練習の音が、戻ってくる。
しおりと後藤先輩は、まだ何か、言葉を交わしている。
きっと、今のプレーの分析でも、しているのだろう。
あの、二人だけの世界。
そこにはまだ、私には踏み込めない何か、特別な空気が、流れているようだった。
「…なあ、日向」
隣で、同じようにその光景を見ていた部長さんが、ぽつりと、呟いた。
「うん?どうしたの?部長さん」
「いや…。最近しおりの奴、少し変わってきてる、気がすんだよな」
彼のその言葉に、私の心臓が、少しだけ、跳ねた。
「昔はな」と、部長は続ける。その声は、どこまでも優しかった。
「あいつは本当に、勝利を求めるだけの、機械みてえだった。 俺たちチームメイトのことも自分の、勝利確率を上げるための、ただの変数としか見てねえんじゃねえかって思う時も、あった」
その言葉に、私の、胸が痛む。
そうだ。
私が、県大会で見た彼女は、まさにそうだった。
冷たくて、孤独で、そして、勝利以外の全てを切り捨てていた。
「でもな」
部長の声のトーンが、少しだけ、明るくなる。
「最近のあいつは違うんだ。もちろん、卓球に対する、その姿勢は変わらねえ。だがな、あいつ勝利以外に、人との繋がりを、少しずつ、大切に思ってくれてんじゃねえかって、そんな気がするんだよ」
彼は、私の方を向き、そしてニヤリと笑った。
「そして、お前と再会してから、それが強くなってる気がするんだよな」
彼のその、あまりにも真っ直ぐな言葉。
私の顔に、カッと熱が集まっていくのが分かった。
「そ、そんなこと、ない、ですけど…」
私が、しどろもどろになっていると、彼は、わしわしと、私の頭を、少しだけ乱暴に撫でた。
「はっはっは!照れんな照れんな!お前が、あいつの氷を溶かすきっかけになったのは、間違いねえよ。俺は感謝してんだぜ、お前には」
その不器用な、しかし、あまりにも温かい言葉。
私の瞳から、また熱い何かが、零れ落ちそうになるのを、必死に堪えた。
私は、コートの中のしおりを、もう一度見た。
彼女は、後藤先輩と何かを楽しそうに話している。その横顔には、もうあの、氷の仮面は、ない気がした。
そうだ。
私が愛した、あの太陽のような少女と、氷の仮面を被った、魔女。
その二人のしおりが、今確かに、一つになろうとしている。
その、奇跡のような光景を、一番近くで見守ることができる。
それ以上に幸せなことが、他にあるだろうか。
私はただ、その温かい光景を、いつまでも、いつまでも、見つめ続けていた。