私の、英雄の話(2)
私が、そう締めくくると、部長さんは「そっか…」と、何かを、深く考え込むように、黙り込んでしまった。
彼の中で、過去のしおりと、現在のしおりの、二つの像が、どう結びついているのだろうか。
その答えは、彼自身にしか分からない。
私は、ただその横顔を、静かに見つめていただけだった。
しばらくの、沈黙の後。
私は待ちきれずに、彼の袖を、ちょんと引っ張った。
「…ねえ、部長さん」
「ん?」
「約束ですよ?次は、部長さんの番です。 私の知らない、中学のしおりのこと、教えてください」
私の声は、自分でも驚くほど弾んでいた。
そう、私はずっと、知りたかったのだ。
私がいなかった、空白の時間。
彼女が、一人で戦っていた、その時間の中で、彼女は、どんな顔をしていたのだろうか、と。
そのうずうずとした、私の気持ちに、気づいているのかいないのか、部長さんは少しだけ困ったように笑い、そして、ゆっくりと口を開いた。
「…そうだな。約束は、約束だ」
彼は、後藤先輩と、激しいラリーを繰り広げる、しおりの姿を見つめながら、語り始めた。
「俺が、初めてあいつに会ったのは、入部届を持ってきた時だったな、その時は、遠目から見ているだけだったが、あいつは、お前が言うような『太陽』とは程遠かった。むしろ、その逆だ。感情ってもんがごっそり抜け落ちた、人形みてえだった」
その言葉に、私の胸が、きゅうっと痛む。
「だがな」と、部長は続けた。
「ラケットを握らせたら、その印象は一変した。あいつの卓球は、異常だった。お前が言うような、『めちゃくちゃ』とは違う。もっと冷たくて、そしてどこまでも合理的。相手の全てを分析し、その時その場面で、一番嫌なところを、的確に突いてくる。さらに、ラケットを回転させることで、裏ソフトとアンチラバーをラリー中に、しかも自然に打ち分けるんだ、まるで、精巧な機械みてえだった」
「…それが、部長さんから見た、しおりの天才性…?」
「ああ。俺は、あいつみてえな卓球をする奴を、見たことがなかった。普通卓球ってのはもっと熱くなるもんだろ?でも、あいつには、それが一切ない。ただ淡々と相手を分析し、そして、効率的に解体していく。その姿は、まさに『静寂の魔女』って感じだったな」
部長はそこで、一度言葉を切った。
そして、ほんの少しだけ優しい目で、しおりを見つめた。
「でもな、日向。俺はそんなあいつの卓球を見て、ただ『すげえ』と思っただけじゃ、なかったんだ」
「あいつのその、あまりにも完璧すぎる卓球の裏に、とんでもねえ孤独と、そして悲しみがあるような気がしてならなかった。だから、俺は思ったんだ。俺が、こいつを守ってやらねえと、ってな」
その、言葉。
それは、私がずっと聞きたかった、答えだったのかもしれない。
私が、いなかった時間。
その孤独な戦いの中で、彼女は、一人ではなかったのだ、と。
部長という、不器用で、そして誰よりも優しい人が、ずっと彼女のそばに、いてくれたのだと。
私は、コートの中の二人を見た。
太陽のような少女と、氷の仮面を被った魔女。
その、二人のしおりが、私の中で、ようやく一つになった気がした。
そして、そのどちらもが、紛れもなく、私が愛した、たった一人の親友なのだと。
私の瞳から、熱い何かが零れ落ちそうになるのを、必死に堪えながら、私はただ、その光景を見つめ続けていた。