黒い正義(2)
私は、階段の踊り場で、一人拳を、強く握りしめていた。
爪が、手のひらに食い込む、その痛みが、私の思考を、冷静に保たせてくれる。
(…なぜ…?)
私の心の中で、黒い炎が、渦巻いている。
(なぜあなたは、私のこの、最大限の譲歩を、理解しようとしないの…?)
静寂しおり。
最初の頃は、良かった。
大人しくて無口で、そして誰にも媚びない。その姿は、私の目に、どこか気高く、そして美しく映っていた。
それに何よりも、彼女は私の大好きなお姉ちゃん、青木桜のライバルとなる可能性を、秘めていた。
だから私は、彼女に興味を持ったのだ。
でも、違った。
彼女は気高い、孤高の、天才などではなかった。
ただの、「異端者」だった。
周りと馴染もうともせず、自分の世界に閉じこもり、そしてあの、気味の悪い卓球で、相手の心を折り続ける。
それは、美しくない。
正しくない。
(だから私が、正してあげなければ、ならなかった)
私が、流した噂。
私が、盗ませた作戦メモ。
私が、壊させたラケット。
私が、盗ませた私物。
それら全ては、彼女をいじめるためでは、ない。
彼女に気づかせてあげる、ためだったのだ。
「あなたは、間違っている」と。
「あなたのその、やり方は、周りを不幸にするだけだ」と。
それは、私なりの「正義」であり、そして、彼女への「優しさ」の、つもりだった。
そして、今日。
私は彼女に、最後のチャンスを、与えた。
卓球さえ辞めてくれれば、全てを元に戻してあげると。
クラスの中心に、入れてあげてもいいと。
これ以上の慈悲は、ないはずだ。
なのに。
彼女は、言った。
その氷のような瞳で、私を見つめて。
「――余計な、お世話です」
そのたった、一言。
その一言が、私の全ての善意を、そして、私の正義を踏みにじった。
(…なぜ、分からないの…?)
(私は、あなたを、救ってあげようとしているのに…!)
私の心の中で、黒い感情が渦巻く。
そうだ。
きっと、あの周りにいる、人たちのせいだ。
あのうるさい、マネージャー。
あの熱血漢で、脳みそまで筋肉でできてるみたいな、部長。
そしてあの、何を考えているのか分からない、ミステリアスな、転校生。
あいつらが、しおりを甘やかし、そして間違った道へと導いているんだ。
(ならば、いい)
私は、階段を降りながら決意した。
私の、この優しさが分からない、というのなら。
もう、手荒な真似も、厭わない。
(あなたを正すためには、まず、あなたの周りにいるその、くだらない仲間たちから、一人一人、引き剥がしてあげる)
(そしてあなたが、完全に一人になった時、あなたはようやく、自分の過ちに気づくはずだ)
静寂しおり。
あなたのその歪んだ「異端」は、私がこの手で、必ず、正してみせる。
それが私の、そして、この世界にとっての、絶対的な「正義」なのだから。