新たな翼(5)
私たちの「対話」は、部活の時間が終わるまで続いた。
白熱した練習が終わり、体育館の片付けを終える頃には窓の外は、すっかり夕暮れの茜色に、染まっていた。
疲労感はある。だが、それ以上に私の心は、これまでにないほどの充実感と、そして静かな興奮で、満たされていた。
これほどまでに刺激的で、そして面白い相手は、しおりさんしかいない。
「…いいデータが取れました。ありがとうございます、未来さん」
しおりさんは、いつもの平坦な声で、そう言った。
だが、その瞳の奥には、確かに、私と同じ種類の、満足感が宿っているのが分かった。
「いえ。こちらこそ。…これほど、充実した、対話は、久しぶりでしたから」
私がそう答えると、彼女は、ほんの少しだけ、口元を緩ませた気がした。
部室で着替えを終え、私たちは二人で、昇降口へと、向かう。
帰る時間だ。
そしてここからは、私に課せられたもう一つの、重要なミッションが始まる。
(…しおりさんを、一人にはしない)
それは、数日前に部長さんから、頼まれていたことだった。
「未来、あかね。しおりのことを頼む。あいつ一人にしとくとまた何をされるか分からん。俺たちで、交代であいつのそばに、いてやってくれ」
ラケットを破壊された、あの事件以来、しおりさんを取り巻く空気は、決して良いものではない。
二人でいれば、あからさまな陰口が囁かれることはないから、と。
私とあかねさんと部長さん。三人で、曜日ごとに担当を決めて、彼女のそばにいる。
もちろんそのことは、しおりさんには気を遣わせたくないから、秘密だ。
そして今日は、私の担当日だった。
私は、しおりさんに並んで、歩きながら声をかける。
「しおりさん。途中までご一緒しても、よろしいですか?」
「…ええ。構いません」
私たちは、二人で、茜色の帰り道を、歩き始めた。
並んで歩く。
私は、彼女の少しだけ前を歩く、その後ろ姿を見て、ふと、あの試合の光景を思い出していた。
ブロック大会、決勝。
あの時の彼女が見せた、あのあまりにも、人間的で、そして、楽しそうな卓球。
躍動する、体。
美しい、ドライブのフォーム。
そして、ポイントを決めた後に見せた、あの屈託のない笑顔。
その、記憶の中の、彼女の、姿と。
今、私の前を歩く彼女の姿が、一瞬ぴたりと、重なった。
(…ああ、そうか)
私は、気づいてしまう。
あの、決勝戦の時だけではない。
今の彼女もまた、あの時の彼女なのだ、と。
氷の仮面は、まだそこにある。
だが、その奥から漏れ出す光は、もう隠しきれていない。
私が、今日一日感じていた、彼女との対話の、あの「心地よさ」の正体。
それは、彼女の、心が、あの、試合を、きっかけに、少しずつ、本来の、姿を、取り戻し始めていたから、なのかもしれない。
まるで、今のしおりさんは、あの時のしおりさんと同じなのではないか。
その新しい、仮説。
それは私の心を、強く強く、惹きつけた。
静寂しおりという最も複雑で、そして最も魅力的な、対象。
その彼女の「回復」への道のりを、一番近くで、見守ることができる。
それは、私にとって何物にも、代えがたい喜びだった。
私は、隣を歩く、彼女の横顔を盗み見た。
その表情は、相変わらず読み取れない。
だが、それで、いい。
私は、ただこうやって、あなたの隣を歩き続ける。
あなたが、本当の笑顔を取り戻す、その日まで。
…一人の、「友達」として。