新たな翼(3)
私は、その提案を受け入れた。
未来さんは静かに頷き、そして私たちは、卓球台を挟んで、向き合った。
私の新しい「実験」の相手として、これほど相応しい存在は、いないのだから。
私は、彼女のことを、改めて観察する。
幽基未来。
転校してきて、まだ数ヶ月。 だが彼女はもう、すっかりこのチームに、馴染んでいる。
いつも静かで穏やかで、そして誰よりも深く鋭く、物事を見ている。
(…私の「異端」という、そのあまりにも強い個性の影に、隠れてはいるが)
(よく考えれば、彼女もまた相当「異質」だ)
彼女は、裏ソフト二枚を使う、攻撃的なカットマン。
カットマンでありながら、前陣でのカウンターや、鋭いプッシュも、得意とする。
守備と攻撃。静と動。その二つの、相反する要素を内包した、そのプレースタイル。
それは、教科書には載っていない、彼女だけの卓球。
その「異質」さ故に、彼女もまた苦しんでいたことがあると、花火の夜に、話してくれた。
練習相手がいない、という孤独。
誰にも理解されない、という寂しさ。
それは、私がずっと感じてきたものと、同じ種類の痛みだ。
(…そうか。私たちは、似ているのか)
そう思った、瞬間。
私の中の、何かが変わった。
これまでの練習は、全て私の仮説を、検証するための「実験」だった。
相手はただの、データ収集の対象。
だが、今目の前にいる、彼女は違う。
(…これは実験ではない。対話に付き合う、という、考えでもない)
(私から、「対話」をしよう)
私は、ラケットを握り直した。
そして、体の中心で、そのラケットを地面と垂直に、90度に構える。
フォア面の赤い裏ソフトと、バック面の黒いアンチラバー。そのどちらの面を使うのか、相手にはギリギリまで判断させない、私の基本のフォーム。
私の全ての「異端」と、そして新しく芽生え始めた「感情」
その全てを、受け止めてみろ、と。
私のその構えの意味を、未来さんは、正確に理解したのだろう。
彼女のその瞳が、強い興味と、そして喜びの光できらめいた。
彼女は静かに、そして美しく、サーブを放った。
変幻自在の、彼女のカットサーブ。
私たちの、初めての、本当の「対話」が今静かに、始まった。
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「…しおりさん。もし、よろしければ」
「いいでしょう、やりましょうか、オールコートの二本交代でいいですか?」
私の続くはずだった言葉を、彼女は読み切っていた。
そして、その挑戦を、静かに受け入れる。
私は静かに頷き、そして、卓球台を挟んで、彼女と向き合った。
私の「実験」の相手としてこれほど相応しい存在は、いないのだから、と彼女は、言っていた。
だがそれは、私にとっても、同じこと。
私の対話の、相手として、これほど興味深い存在は、いない。
私は、彼女のことを、改めて観察する。
静寂しおり。
平均よりも小柄で、腰まである長い黒髪を持つ、中学一年生。
そしてその、陰のある紫の瞳。
私はその瞳の奥にある、彼女の本当の感情を読み取ろうと意識しても、辛うじてその奥底に燃える、静かな戦意が読み取れるぐらいで、それ以外の情報は、何も得られない。
感情を隠すのが、上手い。
あるいは、こうならざるを得なかった、のだろうか。
そのアンチラバーを使いこなす、異様なまでの、錬度の高さ。
それは彼女が、ただの天才ではなく、その裏に、計り知れないほどの、時間を費やしてきた努力する天才であることを、物語っている。
(…きっと、似ているのかもしれないと、何度思っただろうか)
その異質さ故の、孤独。
その孤独故の、探求心。
私とあなたは、もしかしたら、同じ世界の住人なのかもしれない。
私が、そんな観察を続けているとしおりさんが、こちらからはラバーの裏表が見えないように、ラケットを構えた。
地面と垂直に、90度。
フォア面の赤い裏ソフトと、バック面の黒いアンチラバー。そのどちらの面を使うのか、私に判断させないための、百戦錬磨の美しい構え。
そして、その瞳が、私に語りかけてくる。
「さあ、始めましょう」と。
(…ああ。あなたも、気づいていたのですね)
(私があなたを、観察していることに。そして、あなたが私にとって、最高の対話の相手になる、ということに)
(ならば、こちらも、応えなければ、なりませんね)
私は呼応するように対話を始めるため、サーブを、放った。
変幻自在の、私の、カットサーブ。
私たちの、初めての本当の「対話」が、今静かに、始まった。