切り裂かれた翼(4)
俺は、彼女の祖父母に促されるまま、その一軒家の、裏手へと、踏み入れた。
そこに広がっていたのは、俺の想像を、遥かに超える光景だった。
まるで、広大な土地が、そこにはあった。
手入れの行き届いた庭。そして、ネギなど野菜を植えている畑などがある。
そしてその、大きな土地の隅に、ひっそりとしかし確かに、祖父母の家が建っていた。
(…なんだここは…?しおりはいつもここから、一人で、学校に…?)
普段の、俺だったら、そのあまりの広大な、土地に、驚いていただろう。
だが、今の俺にはそんな余裕は、なかった。
ただ、しおりのことで、頭がいっぱいで。
俺はただ黙って、二人の後を、ついて祖父母の、家へと上がらせてもらった。
通された居間は、どこか懐かしい、お線香の匂いがした。
俺が、座布団に腰を下ろすと、おじいさんが、静かに、そして、重々しく口を開いた。
そこから、聞かされたのは俺が全く知らなかった、しおりの辿った、軌跡だった。
都会から越してきたこと。
父親が、会社で孤立し、その不満を、家庭へと向け始めたこと。
母親が、自分を守るために、父親の側についたこと。
そして、しおりがたった一人で、その地獄に、耐え続けていた、ということ。
「…あの子は、優しすぎる子だよ。」
おじいさんは、そう言って、一度言葉を切った。
「あの日、あの子は、自分の命を絶とうとまでした。…たった一人の、親友を、守るために」
そのあまりにも、衝撃的な事実に、俺は言葉を失った。
息が、できない。
胸の奥が、まるで万力で、締め付けられるようだ。
「…幸い、命は助かった。そして我々があの子を、引き取ることになった。だが…」
今度は、おばあさんが、涙声で続ける。
「…あの子の心はもう、壊れてしまっていたんだ。誰にも心を開かず、ただ、氷の仮面を被って、自分の殻に閉じこもって…」
そして、あの、出来事。
俺が、まだ知らない、もう一つの地獄。
卓球クラブでの父親の、襲来。そして、ラケットの破壊。
「あの日、あの子の最後の光が、消えたんだ。だから、わしらは、あの子に一人だけの世界を、与えることにした。誰にも邪魔されない、静かな世界をな」
おじいさんの視線が、窓の外の、あの広大な土地へと、向けられる。
そうだ。
あの、場所は、しおりが、一人で、生きるために、そして、戦うために、作られた、彼女だけの、要塞。
俺はようやく、全てを理解した。
彼女の、あの常人離れした強さ。
そして、その裏にある、あまりにも深い、孤独と絶望。
俺は、今まで何も知らずに、ただ能天気に「すげえな、お前!」なんて、言っていたのだ。
自分の、無知さと無力さが、恥ずかしくて悔しくて、涙がこぼれそうになる。
俺は畳に手をつき、そして二人に向かって、深く深く、頭を下げた。
「…すみません…!俺、何も知らなくて…!」
その俺の背中に、おじいさんの、温かい声が、かけられた。
「…いや、君が、謝ることじゃ、ない。むしろ、礼を、言うのは、わしらの、方だ」
「え…?」
俺が、顔を上げると、二人は優しい笑顔で、俺を見ていた。
「君や、君の仲間たちが、いてくれたおかげで。あの子の、あの凍てついた氷の壁が、ほんの少しだけ、溶け始めた、気がするんだ。…ありがとう、本当にありがとう」
その言葉に、俺の涙腺は、完全に崩壊した。
俺はただ、子供のように、声を上げて、泣き続けた。
そして、心に、誓った。
(…しおり)
(俺が今度こそ、お前を絶対に、守ってやる)
(お前がもう、一人で泣かなくていいように。心の底から笑える、そんな日が来るまで)
俺の本当の「戦い」は、今、この瞬間から、始まろうとしていた。
主将として、そして、一人の、仲間として。
彼女を、守り抜くための、戦いが。