切り裂かれた翼(2)
「――っ!」
蹲り頭を抱える、しおりのその小さな背中。
その、姿を見た瞬間。
俺の、頭の中で、何かが、ぷつり、と、切れる、音がした。
やめて。
やめて。
やめて。
思い出したくない。
感じたくない。
しおりのその、声にならない、悲鳴が俺の心の奥底に、突き刺さる。
俺は、震える足で、彼女の元へと駆け寄った。
「――しおりっ!」
俺が、その名前を呼ぶ。
彼女の、肩がびくりと、震えた。
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その瞳にはもう、何の光もない。ただ、深い深い、絶望の闇だけが広がっている。
あの日の風花と、同じ目だ。
「おい、しおり!しっかりしろ!俺が、分かるか!?」
俺は、彼女の肩を、大きな手で掴み、優しく、しかし力強く揺さぶる。
その温かさに、彼女ははっと、我に返ったようだった。
少ししてから、彼女の反応は、甦った。
「…ぶ、ちょう…?」
「ああ、そうだ。大丈夫か?しおり」
俺の、その問いに、彼女は答えない。
その、虚ろな視線は、床に転がった、無残なラケットへと、向けられている。
切り裂かれた、ラバー。
傷つけられた、ブレード。
彼女の、新しい、翼。
それを見た、瞬間。
俺のその、心配そうな表情が、一瞬にして怒りに染まった。
俺は、立ち上がり、そしてその怒りの矛先を、壁に向けた。
「――くそっ!どこの、どいつだ!ふざけやがって!!」
ドンッ!と、いう、大きな、音。
俺が、ロッカーを殴りつけた、音だった。
その拳からは、痛烈な痛みが発される。
だが、そんな痛みなど、どうでもよかった。
(…俺の、せいだ)
俺の怒りは、犯人ではなく、自分自身に向いていた。
俺が、もっと早く、気づいていれば。
俺が、もっとあいつの周りの、くだらねえ噂話に、気を、配っていれば。
俺がもっと、うまく、やっていれば。
(もっと、うまく、守れたはずだ…!)
風花の、時も、そうだ。
俺は、いつだって、そうだ。
大切な仲間が、傷ついていくのを、ただ、見ていることしか、できない。
なんという、無力。
なんという、不甲斐なさ。
「しおり…?」
俺が、自分への怒りに震えていると、彼女が静かに、俺を、見上げていた。
その瞳には、もう、絶望の色は、ない。
いつもの、あの氷のように、冷たい、光が宿っている。
彼女は立ち上がり、その壊された、ラケットを、静かに拾い上げた。
そして、平坦な声で、言った。
「…問題、ありません。私の、管理不行き届きが、招いた結果です。このラケットは、廃棄します」
そのあまりにも、感情のない、彼女の言葉。
それが、何よりも、俺の胸を、締め付けた。
そうだ。
また、こうやって、彼女は、心を閉ざしていく。
氷の仮面を、被り、一人で戦おうとする。
俺が、弱いからだ。
俺が、頼りないからだ。
俺は、何も、言えなかった。
ただ、拳を、強く強く、握りしめることしか、できなかった。
この、どうしようもない、怒りと後悔を、どこに、ぶつければいいのか、分からないまま。