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異端の白球使い  作者: R.D
探し物
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未来への約束(7)

 私は、新しいラケットを、店長さんから受け取った。


 その、グリップの感触を確かめるように、強く握りしめる。


 今の私なら、このじゃじゃ馬のような、『Chaos』も、乗りこなせるかもしれない。


 そんな、新しい可能性の予感が、私の胸を熱くした。


「店長さん、ありがとうございました」


「おお、いいってことよ。また、いつでも、来な、日向さんも、な」


 店長さんは、その大きな体で、優しく笑った。


 私たちは、彼に一礼し、そして、店を後にした。


 カラン、とドアベルが、軽やかな音を立てる。


 外はもう、夕暮れの、茜色に染まっていた。


 その光が、私の隣を歩く葵の横顔を、温かく照らしている。


 私たちは、駅までの道を、ゆっくりと歩いた。


 言葉は、少ない。


 でもそれは、気まずい沈黙ではなかった。


 ただ、今日という一日に起きた、あまりにもたくさんの出来事の、その温かい余韻に、二人で浸っているかのようだった。


(…葵の笑顔。店長さんの、優しさ。新しいラケットの、感触。クレープの、甘さ)


 私の思考ルーチンは、今日インプットされた、それらの温かい感情のデータを、何度も何度も、反芻していた。


 胸の奥が、ぽかぽかと、温かい。


 富永先生は、これを「アクセル」だと、言っていた。


 なるほど。


 確かに、この感情は、私の心を前に進ませる、力があるのかもしれない。


 駅の改札口に、たどり着く。


 そろそろ、別れの時間だ。


 葵は、隣の県から来ている。


「じゃあ…私、行くね」


 彼女が少しだけ寂しそうに、そう言って、笑った。


 その笑顔を見て、私の胸の奥が、また、ちくりと痛んだ。


(…この、パラメータは、「寂しい」だ)


 私は、初めて自分の感情に、正確な名前をつけることができた。


「…はい」


 私は、頷く。


 そして、昔の私なら、決して言えなかったであろう、言葉を、続けた。


「また、連絡します。今度は、私から」


 その言葉に、葵の顔が、夕焼けよりも、もっと明るく、ぱあっと、輝いた。


「うん!待ってる!約束だよ!」


 彼女は、そう言うと、名残惜しそうに、一度だけ手を振り、そして改札の向こう側へと、消えていった。


 私は、その背中が見えなくなるまで、しばらくその場に、立ち尽くしていた。


 そして、一人帰路につく。


(…彼女は、行ってしまった)


(手のひらに残っていた、彼女の温もりも、もう、ない)


(「寂しい」というパラメータの、数値が、上昇していく)


 だがそれは、あの病院の、ベッドの上で感じた、あの冷たい、絶望的な寂しさではなかった。


 その寂しさの中には、確かに温かい何かが、混じっている。


 次に会える、という期待。


 約束がある、という安堵感。


 これが「誰かを、想う」ということ、なのだろうか。


 私の「静寂な世界」は、もう完全な無音では、ない。


 そこには、葵の笑い声と、仲間たちの声援と、そして、たくさんの、温かいノイズが響いている。


 そしてその、ノイズは、決して不快なものでは、なかった。


 私は、空を見上げた。


 一番星が、一つ、キラリと輝いている。

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