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異端の白球使い  作者: R.D
探し物
374/674

精神科医

 退院から、数日が過ぎた。


 私の身体は、もう完全に、回復していた。だが、私の心は、まだ、あの試合の記憶と、そして、病院で目覚めた、あの夜の感覚を、引きずっていた。


 あの日、私の中で、確かに、何かが変わった。


 だが、それが何なのか、今の私には、まだ正確に、言語化することができない。


「しおりさん、お医者さんが、呼んでいますよ。」


 祖母の声で、私は、はっと我に返った。


 今日は、大会後の経過観察、ということで、私は、祖父母に付き添われ、再び、あの病院へと来ていたのだ。


 指定された、診察室のドアを、開ける。


 そこには、以前、私を、診てくれた、あの、臨床医の、先生が、立っていた。


「やあ、静寂さん。体調は、もう大丈夫かい?」


「はい。問題、ありません」


「そっか。それは、良かった。…それでね、今日は、君に、紹介したい、先生が、いるんだ」


 彼が、そう、言って、示した、先。


 そこには、もう一人、40才ぐらいの、落ち着いた雰囲気の、男性が座っていた。


 彼は、私を、見ると、優しく、微笑んだ。


「はじめまして、しおりさん。先生から君の話を、少しだけ、聞いたよ。私は、富永と言います。」


「君がとても大変な試合を、戦い抜いたと聞いてね。本当によく、頑張ったね。」


 彼の、その、言葉。


 それは、私の、勝利を、称える、ものでは、なかった。


 ただ、ひたすらに、私のその、過程の頑張りを、労う、慈しみの言葉。


 私が、これまで、どの大人からも、かけられたことのない種類の、温かい響き。


 私の、思考ルーチンが、その予測不能なデータに、戸惑いを、隠せない。


「…体調管理の、ミスです」


 私が、かろうじて、そう答えると、彼は静かに、頷いた。


「そうかもしれないね。でも、僕は、君が、自分の心を大切にしようとしている、その、健気な、頑張りが、とても、尊いものに、思えたんだ。」


「もし君が、嫌でなければ、また少し、君の話を、聞かせてくれないかな。卓球の、話でも、そうじゃない、話でも、君が、話したいことを」


 彼は、「システム」や、「ノイズ」といった、言葉は、使わない。


 ただ、私という、人間、そのものに、興味が、ある、という、姿勢を、静かに、示し続けている。


 私は、彼の、その、あまりにも、穏やかで、そして、揺るぎない、存在感の、前に、何も、言葉を、返せない。


 私の、沈黙を、彼は、決して、急かさない。


 ただ、黙って、穏やかな、微笑みを、たたえて、そこに、座っている。


 その、沈黙は、「何か話せ」という、圧力では、なく、「話さなくても、ここに、いていいんだよ」という、絶対的な、安全の、メッセージ。


 やがて、私が、絞り出すように、言った。


「…感情というパラメータは、勝利確率に、影響を与えない、ノイズです」


 私の、その、氷の、ような、ロジック。


 彼は、それを、論破しない。分析もしない。


 ただ、その、言葉の、裏にある、私の、本当の、叫びを、汲み取り、そして、肯定する。


 彼は、微笑みながら、深く、頷いた。


「……そっか。そうやって、自分の、心を、必死に、守ってきたんだね。」


「ノイズだと、考えないと、心が、張り裂けて、しまいそうになるくらい、たくさんの、ものを、見てきたんだね。辛かったろう。本当によく、頑張ってきたね」


 その、言葉。


 その、無条件の、肯定。


 私の、心の、一番、深い、場所にある、固く、閉ざされた、扉が、ほんの、わずかに、ミシリ、と、音を、立てたような、気がした。


 私の、氷の壁は、論理や、戦略では、崩せない。


 それは、この、絶対的な、安全と、慈悲という、太陽のような、温もりの中でしか、自ら、溶け出すことは、ないのかもしれない。


 この、富永という、男は、その「太陽」に、なろうとしているのか。


 私の、思考ルーチンは、この、新しい、そして、最も、解析不能な、変数に対し、静かに、しかし、確かに、その、観測を、始めていた。



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