泡沫夢幻の今(4)
ありがとう。
その、一言が、どうしても、言えなくて。
私は、ただ、もう一度、彼女の、その温かい、体を、強く、強く、抱きしめ返すことしか、できなかった。
しばらく、そうして、互いの、温もりを、確かめ合った後。
葵は、少しだけ、体を、離し、そして、いたずらっぽく、笑った。その瞳は、まだ、少し赤い。
「それでね、話は、まだ、続きが、あるんだから」
「え?」
「私ね、しおりのこと、見つけたんだよ。卓球の、おかげで」
彼女は、少しだけ、得意げに、胸を張った。
「中学に、なって、初めて、出た、市町村の大会。その、決勝の、様子がね、ほんの少しだけ、夜の、ローカルニュースで、流れたの。ぼーっと、テレビを、見てたら、そこに、しおりが、映ってて…!」
「あの時の、嬉しさ、分かる!?もう、心臓が、止まるかと、思った!やっぱり、しおりは、卓球を、続けてたんだ、って。私の、信じた、道は、間違ってなかったんだ、って!私、その、ビデオ、何十回も、何百回も、繰り返し、見たんだから!」
その、あまりの、喜びように、私も、つられて、ふふっ、と、笑ってしまった。
だが、葵の、表情が、すぐに、少しだけ、曇った。
「…でもね。次に、しおりを、見た時…県大会で、見せた、あなたの、姿は、私の、知ってる、しおりじゃ、なかった」
「笑わない、冷たい、目。相手を、徹底的に、分析して、心を、折る、卓球。みんなが、あなたのことを、『予測不能の魔女』だって、呼んでた。あの時の、私は、本当に、ショックで…怖くて…」
彼女の、声が、震える。
「だから、決めたの。今度こそ、私が、しおりを助けるって。私が、あなたの、氷の仮面を、壊して、昔の、しおりを、取り戻すんだ、って。それは、もう、ほとんど、狂気に、近い、救済への、願いだったと思う」
「私ね、しおりのいる、第五中学へ、何度も、突撃しに行こうって、思ったんだよ。大会で、会うまで、待てなくて。しおりが、いるのは、隣の、県だって、分かってたから、電車に乗って、何度も、何度も、そっちの、近くまで、来てたんだ」
彼女の、その、言葉に、私は、息をのんだ。
そこまで、してくれていたなんて。
「…でもね」
葵は、そこで、えっへん、と、胸を張る。
「私、我慢したんだ。ちゃんとした、舞台で、卓球で、あなたと、向き合いたかったから。試合で、正々堂々、勝って、そして、あなたを、救うんだ、って。最後まで、我慢できたの。偉いでしょ?」
彼女は、そう、言って、褒めてほしい、というように、私を、上目遣いで、見つめてくる。
その、仕草は、昔と、少しも、変わっていなかった。
私の、胸の中に、愛おしさが、込み上げてくる。
「…うん。えらい、えらい」
私は、昔のように、葵の、頭に、そっと、手を、置き、優しく、優しく、撫でた。
その、距離感の近さに、葵は、一瞬、驚いたように、目を見開いたが、すぐに、猫のように、気持ちよさそうに、目を、細めた。
「よく、頑張ったね、あお。一人で、ずっと、戦っててくれたんだね。ありがとう」
私の、その、言葉に、彼女の、瞳から、また、ぽろり、と、涙が、零れ落ちる。
でも、それは、もう、悲しみの、涙では、なかった。
「…うん…!うん…!」
彼女は、何度も、何度も、頷きながら、私の、胸に、顔を、うずめた。
私たちは、もう、大丈夫。
これからは、もう、一人じゃない。
二人で、一緒に、歩いていける。
その、確かな、温もりを、感じながら、私は、ただ、優しく、彼女の、頭を、撫で続けた。
背後で、未来さんざ呆れるくらい、温かい、眼差しで、私たちを、見守っていることにも、気づかないまま。