数多の失敗と僅かな成功
ネットイン・エッジインの練習で、体育館には乾いた打球音と、部長の驚嘆の声、そして時折私の修正を求める声が響いていた。
日はさらに傾き、私たちの影は床の上で踊るように揺れている。一通り、データ収集を終えた私は、次の「実験」へと移行する。
「部長。次は、サーブレシーブからのストップの練習をお願いします。できるだけ同じモーションから、異なる質のボールを返したい」
私が静かに告げると、部長は汗を滴らせながらも、挑戦的な笑みを浮かべた。
「ほう、ストップか!地味な技だが、お前がやるとどうせロクなことにならねえんだろうな!いいぜ、どんなサーブでも打ってやる!」
彼は、私の「実験」に付き合うことに、もはやある種の使命感すら感じているのかもしれない。
あるいは、私の「異端」を誰よりも早く体感し、攻略の糸口を見つけ出したいという、純粋な競技者としての欲求か。
あかねさんは、少し離れた場所で、ペットボトルの水を飲みながら私たちのやり取りを熱心に記録している。
彼女のノートには、おそらく「部長の反応パターン分析」といった項目も追加されているに違いない。
部長のサーブ。まずは、彼の得意とする、強烈な下回転サーブが、私のフォア前に短く、鋭く突き刺さる。
…強い下回転。通常の対応は、ツッツキで同じ下回転をかけるか、フリックで攻撃的に持ち上げるか。
私は、ラケットの持ち替えは行わず、裏ソフトの面を使い、コンパクトなテイクバックから、ボールの下を薄く、鋭く擦り上げるようにしてストップ。
ボールはネットすれすれを越え、強烈な下回転を保ったまま、相手コートのフォア前に、2バウンドしそうなほど短く止まった。
教科書通りの、質の高い「下回転ストップ」だ。
「おう、まずは普通のストップだな!悪くねえ!」
部長は、それを難なくツッツキで返してきた。
次のサーブ。今度は、同じ下回転サーブに対して、私はインパクトの瞬間、ラケット面をわずかに立て、ボールの赤道付近を、回転をかけずに「押し出す」のではなく、むしろボールの勢いを「殺す」ように、スーパーアンチの面に持ち替えて触れた。モーションは、先ほどの下回転ストップとほとんど同じに見えるはずだ。
カツン、と先ほどとは異なる、やや乾いた、軽い音が響く。
ボールは、回転を失い、ナックルボールとなって、先ほどとほぼ同じコース、同じ短さで相手コートへと滑り込んだ「デッドストップ」
「なっ…!?」
部長は、先ほどと同じ下回転ストップが来ると予測し、ラケット面を上向きにしてツッツこうとしたのだろう。
しかし、回転のないボールは彼のラケットの上を滑るようにして浮き上がり、そのまま台をオーバーしていった。
成功。
「静寂!お前、今、ラケット持ち替えたろ!同じ振り方で、全然違う球出しやがって!」
部長が、悔しさと驚きが混じった声を上げる。
「…はい。持ち替えと、ラバーの特性を利用しました。」
私は、冷静に結果を述べる。
…モーションの共通化による、球質の変化。
相手の予測を裏切る効果は高い。だが、持ち替えの際の、ほんのわずかな手首の動き、あるいはラバー面の角度の違いを、トップレベルの選手が見抜けないとは限らない。
さらなる微細化が必要だ。
「今の、全然ボールの飛び方が違いました…! 同じに見えたのに…!」
と、あかねさんは興奮気味にノートに何かを書き込んでいる。
「もう一丁だ!今度は見切ってやる!」
部長は、さらに集中力を高め、今度は横回転のショートサーブを私のバック側へ出してきた。
私は、それに対して、再び同じようなコンパクトなストップのモーションに入る。
そして、インパクトの瞬間、裏ソフトの面で、ボールの側面を捉え、わずかなサイドスピンを加えながら、彼のフォアサイドネット際へ、鋭く曲がる「横回転ストップ」を放った。
「そっちか!」
部長は、ボールの曲がりに反応し、体を伸ばして何とかラケットに当てたが、返球は大きくサイドを切れてアウトになった。
これも、成功。
「くそぉ…!下かと思えばナックル、ナックルかと思えば横回転か!やってくれるじゃねえか、静寂!」
部長は、頭を抱えるようにしながらも、その口元には笑みが浮かんでいる。彼は、この難解なパズルを解くことに、ある種の楽しさを見出しているようだ。
しかし、私のこの戦略も、まだ完璧ではない。
次に部長が出してきた、回転量の少ない、やや浮き気味のサーブ。
私は、これをスーパーアンチで、さらにいやらしい、滑るようなナックルプッシュで返そうと試みた。しかし、インパクトの瞬間の力加減を誤り、ボールは勢いを失いすぎてネットを越えなかった。
…失敗。今のボールに対しては、スーパーアンチでのプッシュは、力加減がシビアすぎる。
裏ソフトでの、回転をかけたフリックの方が確実だったかもしれない。データ更新、および状況判断の閾値調整。
「はっは!静寂、今のヘボいぞ!そんなんじゃ、県大会じゃ通用しねえからな!」
部長が、ここぞとばかりに大声を上げる。彼のこの切り替えの早さ、そして相手のミスを見逃さない厳しさは、私にとって貴重な「実験データ」となる。
私は、彼の言葉に表情を変えることなく、次のサーブを待つ。
私の卓球は、数多の失敗と調整、その結果の僅かな成功が力になっている。
同じように見えるモーションから繰り出される、無限に近い球質の変化。
それは、相手の「当たり前」を崩し、思考を停止させ、そして勝利を手繰り寄せるための、私の「異端」の研鑽。
この体育館で、私の「実験」は、まだ終わらない。




