仮面の下の記憶
トーナメント表が、更新され、次の、第四回戦…準決勝の、相手が、確定した。
静寂しおり vs 常勝学園・青木 桜
第五中学・部長 vs 朝久学園・矢口
私たちの空気は、決戦を前にした、戦場のそれに、近かった。
部長は黙々と、しかし、その一挙手一投足に、闘志を、みなぎらせながら、ストレッチを、繰り返している。
その、隣で、あかねさんと、未来さんは、二人、顔を、寄せ合い、タブレット端末を、食い入るように、見つめていた。
そこには、おそらく、あらゆる戦法とその対策をまとめた、作戦メモ、その、全てを、少なくとも、どんな相手だろうと、対策のページをすぐに引けるように覚えようとしているのだろう。
私は、そんな三人の様子を、少し離れた、場所から、ただ、ぼんやりと、眺めていた。
私の、隣には、当然のように、葵が、座っている。彼女は、何も、言わない。ただ、静かに、私の、そばに、いるだけ。
(…青木桜)
その、名前を、反芻するだけで、私の、思考ルーチンに、県大会決勝の、あの、死闘の、記憶が、フラッシュバックする。
あの、絶対的な、「フロー」。
私の、「異端」を、完全に、打ち破った、あの、圧倒的な、力。
そして、追い詰められ、敗北の、淵に、立たされた、あの、絶望感。
(…勝てる、のか?)
私の思考に、明確な「弱気」という、ノイズが混じる。
あの、試合。私は、確かに、勝った。だが、それは、私の、ロジックが、彼女を、上回ったからでは、ない。
ただの、偶然。
最後の、最後に、運が、私に、味方しただけだ。
青木桜は、私よりも、格上だ。
その、冷徹な事実が、私の、心を、重く、支配する。
私は、無意識のうちに、隣に座る、葵へと、視線を、向けた。
そして、ほとんど、自分でも、気づかないうちに、その、名前を、呼んでいた。
「………ねえ、あお」
その、あまりにも、懐かしい、響きに、私自身が、驚く。
私の、口から、敬語が、消えている。
葵が、驚いたように、顔を、上げた。
「……うん?どうしたの、しおり」
彼女もまた、まるで、昔に、戻ったかのように、ごく、自然に、私の、名前を、呼んだ。
「………覚えてる?」
私の、声は、か細く、震えていた。
「小学2年の、ころ。私が、まだ、引っ越してきて、すぐの頃。あおが、クラスの、みんなから、仲間外れに、されてたこと」
葵の、瞳が、大きく、見開かれる。
「私は、最初見てるだけだった。あなたと、関われば、今度は、私が、同じ目に、遭うと、分かっていたから。それが、最も、安全だと思ってたから」
「でも」と、私は、続ける。
「ある日、あなたが、一人で、泣いているのを、見て、私は、私の、安全位置にいたいという思いを、自分の意志で、破った。あなたに、声を、かけた。そして、案の定、次の日から、仲間外れの、ターゲットは、私に、変わった」
葵の、瞳から、一筋、涙が、零れ落ちるのが、見えた。
「…それでも、後悔は、してなかった。一度も。だって、その、出来事が、あったから、私は、あおと、友達に、なれたんだから」
そうだ。
あれが、私の、始まりだった。
私が、初めて、他者のために、行動し、そして、「友達」という、温かい、変数を、手に入れた、瞬間。
葵は、その、潤んだ、瞳で、私を、じっと、見つめている。
彼女の、心の中に、あの日の、光景が、蘇っているのが、分かった。
一人ぼっちで、泣いていた、自分。そこに、現れた、転校生。その、小さな、女の子が、自分に、差し出してくれた、不器用な、優しさを。
それが、彼女が、私を、好きになった、きっかけだった、ということを。
彼女は、何も、言わない。
ただ、そっと、私の手を取り、そして、その、手を、強く、強く、握りしめた。
その、温かさが、私の、冷え切った、心の、奥底へと、ゆっくりと、染み渡っていく。
「……うん。知ってるよ、しおり」
彼女は、涙声で、しかし、力強く、言った。
「あなたは、昔から、ずっと、そうだった。誰よりも、優しくて、そして、誰よりも、強い子だった」
「だから、大丈夫。今の、あなたも、絶対に、勝てるよ」
その、言葉に、私は、何も、返せない。
ただ、握られた、手の、温かさを、確かめるように、少しだけ、強く、握り返した。
私の、氷の仮面は、まだ、そこにある。
だが、その、下の、心は、確かに、今、ほんの、少しだけ、温かくなっていた。