死闘
思考ルーチンは、まだその感情のデータを、処理しきれずにいた。
だが、トーナメントは、待ってくれない。
私は、心の奥底に生まれた、その小さな、しかし、確かな「変化」に、一旦、蓋をする。
そして、思考を完全に次の、フェーズへと、切り替えた。
「部長たちの、試合を、見に行きます」
「わかったよ!しおりっ!」
私の隣には、葵が、当たり前のように、立っている。彼女も、ついてくる、という、ことらしい。
私たちは、部長とあかねさんがいるはずのコートへと、向かった。
観客席には、既に多くの人だかりが、できていた。
その、異様な、熱気と、緊張感に、私は、すぐに、状況を、理解する。
「…すごいことになってますよ…」
未来さんが私たちの、存在に気づき、駆け寄ってきた。
彼女が、指差す、スコアボード。
そこに、表示されていた、数字に、私は、息をのんだ。
セットカウント 部長 2 - 2 空知
部長 12 - 12 空知
(…フルセット。そして、12-12の、デュース…)
私が、自身に生まれた感情と向き合っている間に、部長もまた、これほどの、死闘を、繰り広げていたとは。
コートの中では、部長と、北園中学の、空知選手が、互いに、一歩も、譲らない、凄まじい、打ち合いを、続けている。
サーバーは、部長。
ここから、一点、一点が、勝敗を、左右する、極限の、場面。
彼は、YGサーブの、モーションから、変化をつけた、ナックルサーブを、放つ。
だが、空知選手は、それに、完璧に、対応し、鋭い、チキータで、反撃する。
部長が、それを、パワーで、ねじ伏せる。
空知選手が、そのパワーを、カウンターで、いなす。
一進一退。
まさに、死闘。
その、あまりにも、ハイレベルな、攻防を、隣で、見ていた、葵が、ぽつりと、呟いた。
「…すごい。部長さん、あの、空知先輩と、あんなに、互角に、戦えてるなんて…。」
その声には、純粋な驚嘆と、そして、尊敬の色が、浮かんでいた。
私は、彼女の、その、意外な、言葉に、視線を、向けた。
「正直、ここまで、やれるなんて、思ってなかった。」
葵は、続ける。
「私、何度か空知先輩に挑んだことがあるんだ。…でも毎回、全く、歯が立たなかった。私の、ドライブも、全部、あのカーブドライブで、いなされて…手も足も、出なかったから」
その、告白に、私は、驚く。
葵の、あの、感情の、乗った、超攻撃的な、卓球。それを、完全に、封じ込めるほどの、実力が、あの空知選手には、ある、というのか。
ラリーが、続く。
13-13。14-14。15-15。
お互いに、マッチポイントを、握っては、奪い返される、息の、詰まる、展開。
葵は、その、光景を、固唾をのんで、見守りながら、静かに、しかし、はっきりと、言った。
「…でも、今の、部長さんなら、あるいは…」
彼女の、瞳には、確かな、光が、宿っていた。
「あの人、私が知っている、ただの、パワーだけの、選手じゃない。きっとしおりの営業で、何かを掴んだんだ。あの、緩急。そして、戦術の、引き出し。…今の、部長さんなら、あの、空知先輩の、牙城を、崩せるかもしれない」
その、葵の、言葉。
それは、彼女が、もはやしおりだけの世界に、生きているのではない、という、証だった。
彼女は、ちゃんと、見ている。
部長の、戦いを。
そして、この、チームの、戦いを。
一人の、仲間として。
私は、コートの中で、死力を、尽くす、部長の、その、大きな、背中を、見つめた。
そして、その、隣で、同じように、真っ直ぐな、瞳で、彼を、見つめる、葵の、横顔を。
私の「静寂な世界」に、また一つ、新しい、そして、温かい、変数が、加わった、瞬間だった。