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異端の白球使い  作者: R.D
ブロック大会編
330/674

想定外(3)

 私のその、どうしようもない認識のズレが、私の心に、ほんのわずかに、寂しい、という解析不能な感情を生み出していた。


 それは、誰にも気づかれない、私だけの小さな、小さな、システムエラーだった。


「…しおりさん。私は、少し、部長さんたちの、様子を見てきますね」


 未来さんが、私のその内面の変化に気づいたのか、あるいは、気を利かせたのか、静かにそう言って、立ち上がった。


「日向さんもここに、いらっしゃいますから。一人では、ありませんね」


 彼女はそう言って、私と葵にほんのわずかに、微笑みかけると、部長たちがいるであろう、別の観客席の、ブロックへと、向かっていった。


 その場に、残されたのは、私と、葵、二人だけ。


 気まずい、沈黙が、流れる。


 葵は、隣に座ってはいるものの、何を話していいのか、分からない、といった様子で、ただ床を見つめている。



 その、私たちの、静かな空間に、遠慮がちな足音が、近づいてきた。


「あの…」


 顔を上げると、そこには、先ほどの、対戦相手、田中選手のベンチに座っていた、中年の男性が、立っていた。おそらく、彼女のコーチか先生だろう。その表情には、申し訳なさが、深く、刻まれている。


「君が、第五中学の、静寂さん、だね。私は、東山中学で、卓球部の、顧問をしている、鈴木だ」


 彼はそう言うと、私に対して、深く深く、頭を、下げた。


「先ほどの、うちの田中の試合での、態度…。本当に、申し訳なかった。スポーツマンシップに欠けた、振る舞いを、させてしまったのは、全て私の指導不足の、せいだ。 素晴らしい試合を期待していた君や、君の仲間たちに、不快な思いをさせてしまった」


 彼の、その、あまりにも、誠実な、謝罪の、言葉。

 自分よりも遥かに若い私に頭を下げるなんて、きっととても誠実な人なのだろう。


 私は、それに対し、いつも通り気にしていない風を、装って、平坦な声で答える。


「…気にして、いません。彼女の、棄権という、選択は、自分を守るという意味では、合理的な、判断でしたから」


 そうだ。私の、思考ルーチンは、そう、結論付けている。


 そこに、私の感情が入り込む余地は、ない。


 私の、心は、動いていない。


 その、はずだった。


 なのに。


「――嘘だ」


 隣から、静かだが、しかし、全てを、見透かしたような、葵の、声がした。


 私は、驚いて、彼女の、顔を、見る。


 彼女は、私を、見ていた。


 その、瞳には、私への、同情でも、あるいは、相手への、怒りでもない、もっと、深い、そして、優しい、色が、宿っていた。


 彼女は、私に、語りかける。


 その、声は、まるで、私の心の中に、直接、響いてくるようだった。


「しおり。あなたは、そう、言うけど。」


「試合の、途中で、相手に、背を向けられて。嬉しい、わけ、ないじゃない。」


「どんなに、強くても、どんなに、冷たい、仮面を、被ってても…。」


 彼女は、そこで、一度、言葉を、切り、そして、私の、心の、一番、柔らかい、場所を、その、言葉で、そっと、撫でるように、言った。


「悲しい、ものは、悲しいんだよ。」


 その、あまりにも、シンプルで、そして、あまりにも、真っ直ぐな、言葉。


 私の、あの、鉄壁の、はずだった、思考ルーチンが、完全に、停止する。


 先生も、申し訳なさそうな、そしてどこか同情を込めた眼差しで、私を見ている。


 氷の、仮面の、奥で、私が、必死に、封じ込めていた、あの、試合の、後の、「寂しい」という、感情が、じわりと、溢れ出してくるのを、感じた。


 葵は、続ける。


「コーチの人は、悪くない。田中さんだって、きっと、必死だったんだよ。ただ、あなたの卓球が、彼女の、心を、壊しちゃっただけ。…でも、それは、あなたの、せいでもない」


「あなたは、ただ、全力で戦っただけ。だから、あなたは、何も、悪くない。」


「でも、悲しい、って、思って、いいんだよ。寂しい、って、感じて、いいんだよ。」


 彼女の、その、言葉、一つ一つが、私の、固く、閉ざされた、心の、扉を、優しく、しかし、確かに、ノックしていく。


(…そうか。私は、寂しかったのか)


(あの、試合の、後。葵との、対話が、終わってしまった、あの時も。そして、今、この、瞬間も)


 私は、ようやく、自分の、感情の、正体を、認識した。


 その、瞬間、私の、瞳から、一筋、涙が、零れ落ちそうになるのを、必死に、堪えた。


 私は、まだ、この、場所で、泣くわけには、いかないのだから。

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